そろそろ街によくあるでかい彫刻の見方をわかっておきたい

2017/08/08 11:00 

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フェティッシュの火曜日
 

そろそろ街によくあるでかい彫刻の見方をわかっておきたい

こういったものを前にして我々は何も思ってこなかった。鑑賞法をわかりたい
こういったものを前にして我々は何も思ってこなかった。鑑賞法をわかりたい
公園の真ん中に、ビルの一階に、学校に、でかい彫刻作品がある。そうした芸術作品を私達は数多く目にしている。

しかしあれに対して何の思いも持たずにここまで来てしまった。あれのよさが一向にわからない。

もういいかげんあのでかい彫刻をどう見たらいいのか学びたい。見方を聞いてしまおう。美術の評論家を呼んできた。
(大北栄人)

大手町のNTTデータビルにあるでかい彫刻(蓮田脩吾郎 / NTTデータ大手町ビルオブジェ)
大手町のNTTデータビルにあるでかい彫刻(蓮田脩吾郎 / NTTデータ大手町ビルオブジェ)
今回知り合いをたよって美大の助手さんであり、美術評論家でもある塚田優さんに来てもらった。一気に回るため大手町~竹橋間の「ちょっとわかりづらそうな」彫刻を事前に5つ選んだので一緒に見ていく。

まずは大手町のNTTDATAビルにある彫刻作品である。

みんなどうやって楽しんでいるの?

――塚田さんは街を歩いていてこういうの出くわしたら見るんですか?

「あまり見ないですね(笑)。なんだかんだで歩くときも目的があるので、よほどのことがない限り足を止めたりは……評論家として恥ずかしい話ではありますよね。待ち合わせ場所だったら見るかなあ」

――こういうのってみんな楽しんでるんですかね?

「子供とかだったらくぐりたいって思うんじゃないですかね」

――くぐりたい!とか、でかいな!とかはわかります。でもそこから先に全然進めないんです。良いなと思った記憶がない。

「そこから先に進もうとすると三次元性を楽しむとか素材を楽しむとかということになると思います」

いきなり聞き慣れない言葉が出てきてこわい。美術評論家こわい。しかし今日はカタイ言葉をできるだけひもといてなんとか分かるようになりたい。
美術評論家の塚田優さん(左)。専門家つきっきりで美術を味わうというのは贅沢な時間だった
美術評論家の塚田優さん(左)。専門家つきっきりで美術を味わうというのは贅沢な時間だった

三次元性を楽しむ

――三次元性を楽しむってなんですか?

「たとえば今日来る前に正面から撮った写真はネットで見てたんですけど、来てびっくりしましたよ。意外と厚いな!って。横から見て。

正面から見るとパツーンと真っ平らになっていて厚みっていうものを感じさせない形に意図的にしてますよね。だから図版で見る限りはこの作品の厚みってあまり想像しないと思うんですよ。

けどやっぱり現場に来てみると3~40cmくらいありますよね。ちょっと反っていたりとか。あとこれは金属ですよね。ある程度古いんだなとか。間近で見ると実感する。

それと一番上に折り目みたいなものがありますよね。ああいうディティールがあるのもわからなかったですよ、写真では」

三次元性と言われるととっつきにくいが「写真じゃなくて目の前にして感じること」ということだろうか。「なんかここに分厚くて反ってる金属あるなあ」感をまず楽しむ。

なんとなく「ぼくはおにぎりが好きなんだなあ」感が出てしまうが、問題ない。裸の大将も芸術家だ。目指すはあそこだ。
真ん中にはうっすらと接合部らしき水平の線。厚みは40cmくらいある。古い金属の質感
真ん中にはうっすらと接合部らしき水平の線。厚みは40cmくらいある。古い金属の質感

彫刻は生で見ないといけない

「赤瀬川源平さんがね、面白いことを言っていて、作品というのは生である、と。味を取り逃してしまう恐れがある。けれども生じゃないとわからないものがある。例えばスポーツ中継にはズームがあったり生以上に見えるようだが、それはすでに人が料理したものである。他人の視点が入ってきたものである、と指摘されています。(※)

だからこそ彫刻は生で見る価値があるんですよ。絵画よりも。情報量が桁違い

彫刻という三次元のものがメディアに載ると二次元の変換がどうしても起こってしまいます。絵画は同じ二次元の情報なのでそこまででもないですが。だから彫刻は生で見てなんぼですよ」

やはり彫刻は生で見るもの。自分の目で見るもの。だとしてもなぜ自分は何も思ってこなかったのか。心が動いたのは……Loftの時間になったら動く看板くらいなものだ!

※『日本美術応援団』赤瀬川原平、山下裕二 2000 日経BP社刊 にあるらしいです
一番上に斜めの線がある。また、上の右肩下がりは背景の階段に合わせているのでは?と推測
一番上に斜めの線がある。また、上の右肩下がりは背景の階段に合わせているのでは?と推測

まず形としてどうかを楽しむ

――赤瀬川さんが言うように生で見ることによって今、折り目みたいなディティールがあることがわかったりしましたよね。だけどそれをどう楽しめばいいんですかね

「こういう抽象的な彫刻作品の場合、純粋な造形物として見るっていうのは一つの手段としてあると思うんですよ」

――純粋な造形物として見るっていうのは「なんだか知らないが、カタチとしていいな」ってことですか?

「僕の想像なんですけど、あの細工がなされたのは結構最後の方だったんじゃないかなって。作品の真ん中に線が入ってますよね。多分作れるサイズの最大がここまでで、もう一個つなげたんですよね。

でもそのままだと何かバランス悪いんとちゃうかって考えて、アクセントでああいう線を入れたのではないかという推測はできると思うんです。そうすると座りが良いなあって。

あの細工がないとちょっと人前に出れないなっていうか。女の人が化粧をする感覚に近いかもしれません」

そもそもまず作者は形としての良し悪しを配慮して作ったのだろう。その証拠に細工がある。だからこっちもまず形として楽しむ。ということだろうか。

よし、楽しんだ。としたら次はなんだ。今日は、え、君、手羽先の軟骨そこまで食べるの?というくらいまで作品をねぶり倒すつもりだ。
業者の人も何ら気にかけるそぶりはない。
業者の人も何ら気にかけるそぶりはない。

どんな名画でも15分が限界説

「後はこういった書いてある文字を読んでみるとか。ここにあるのは作者側が出している最低限の情報、文脈なので。

下調べとか作家に対する理解も全然なくとりあえず素手で行っていける限界っていうのはこんなところですね。でもこんなものでも割と今15分ぐらい暇をつぶしてますけどね」

――暇をつぶせる時間が美術作品のよさの尺度なんですか!?

「そう言ってしまうと語弊がありますが、昔、予備校の先生が言ってたんですけど、どんな名画でも15分が限界だよって。2時間も3時間もその絵の前に私はいた!って語る人もいますけども。まあ、2時間とか3時間も見られる作品ってなかなか出会いませんよ(笑)」

なんてこった。15分が限界なのか。『フランダースの犬』のネロがルーベンスの絵を見たとき、あれも15分までなのか。「もう15分くらい見たしな…」そんなことを彼も思っていたのかもしれない。
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@nifty

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