鳥取に残る越前狛犬 北前船交易の証し 今も地域見守る

2021/05/04 17:59 

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 鳥取市に、江戸期の回船交易を伝える“守護獣”がいる。福井県産の笏谷石(しゃくだにいし)で制作された越前狛犬(こまいぬ)で、日本海回りの商船群「北前船」によって運ばれたとみられる。水にぬれると青みを増す石でかたどられた越前狛犬は愛嬌(あいきょう)のある表情が特徴で、献納から歳月を経た今も人々の信仰に寄り添う。

 賀露港(鳥取港)を望む鳥取市賀露町北1の賀露神社。高さが45センチほどの一対は風雨で全体が丸まり、口を開けた「阿形(あぎょう)」の1体は右前脚が欠ける。おかっぱ頭や背に沿った短い尾は越前狛犬の特徴をよく表しており、青い絵の具を溶いた水に乳白色を混ぜたような彩りが、眼下に広がる日本海を思わせた。

 祢宜(ねぎ)の岡村吉彦さん(53)は言う。「江戸の頃に納められ、北陸との縁を感じるこの狛犬は、お宮の宝、氏子の宝、賀露の宝です」

 松葉ガニの水揚げで知られる賀露港は、明治中期まで各地を寄港しながら荷物の運搬や商品の売買で利益を上げた北前船の交易でも栄えた。賀露神社の越前狛犬は銘文がなく由来は不明だが、拝殿までの参道に敷き詰められた笏谷石は1792(寛政4)年に地元の回船問屋らが寄進したとの記録が残る。福井から同じ時期に運んだ越前狛犬を献納したとの推測も成り立つ。

 2020年に狛犬の企画展を催した鳥取市因幡万葉歴史館の鎌澤圭伸学芸員によると、福井市の足羽山(あすわやま)で採掘された笏谷石で江戸期に作られたとみられる越前狛犬は、県東部の神社だけで十数組が現存する。鎌澤さんいわく「回船交易で人と物が行き来した証し」で、福井県立歴史博物館などの調査では、これらは三国港(福井県坂井市)で積まれ、北海道や東北、島根県の神社にも納められた。

 ◇船の重し代わりに積み込む?

 一説には、三国港で重い荷を降ろした北前船が重量のバランスを取る重しの代わりに、越前狛犬を含む笏谷石を積み込んだともされる。ただ、江戸期の福井藩は積み出す際の寸法を規制するなど笏谷石を価値のある“輸出品”として扱っており、鳥取市には珍重された越前狛犬を奉納した、願主の思いが読み取れる銘文も残っている。

 鳥取市立川町4の稲荷神社に納められた越前狛犬=非公開=は、1700(元禄13)年の暦とともに「諸願成乾(就)」「志村氏」と刻まれている。氏子総代を務めたこともある近くの元中学校長、野田吉夫さん(91)によると、この志村氏は鳥取藩政を記した元禄12年の「家老日記」などに見える武士の志村平左衛門で、山奉行から賀露港にあった番所に詰める番人に出世したことがうかがえる。

 それらを踏まえ、野田さんは「平左衛門は勤め先の賀露港で、福井から運ばれた笏谷石を見ているはずです。そこで身分が高くなるよう願をかけていた稲荷神社に、貴重な越前狛犬を献納したのではないでしょうか」と読み解く。生活に即した願いが花開いた時、できる限りの品を納めて礼を尽くす。その信仰が見て取れるという。

 賀露神社の越前狛犬を見つめ、岡村さんは「福井から運ばれた狛犬を、どんな思いで寄進されたのか。この狛犬からは人々の生活や信仰、歴史が見えてくる気がするのです」と話した。賀露港を行き来するのは漁船が大半で、氏子に名を連ねた回船問屋や、番所に詰めた志村平左衛門はもういない。ただ今も、越前狛犬は邪をはらい、しっかと見開いた目で地域を見守っている。【平川哲也】

毎日新聞

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