「近代建築の父がデザイン」市場で注目のピアノ…実は別人だった

2023/03/19 09:30 

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 「日本近代建築の父」と称されるチェコ出身の米国人建築家、アントニン・レーモンド(1888~1976年)が生前デザインしたとされる複数種類のピアノが近年、中古市場で流通している。その存在情報はインターネットを中心に拡散したとみられるが、実はレーモンドのデザインだと確認できたのは1種類だけで、あとは日本人によるデザインだった可能性が極めて高いことが分かった。製造元のヤマハ(本社・浜松市)は「デザイナーの名誉のためにも本当のことを知ってほしい」としている。

 レーモンドは1919年、旧帝国ホテル建築時に師匠のフランク・ロイド・ライトとともに来日し、73年に米国に帰るまで日本を拠点に活躍。近代建築設計と施工法を導入して旧米国大使館(東京都)、東京女子大(同)、群馬音楽センター(群馬県高崎市)、南山大(名古屋市)などを手がけた。

 関係者によると、中古市場でレーモンドがデザインしたとされている日本楽器(現ヤマハ)製の主なモデルは①下部に開けられた多くの穴が目を引く小型アップライト(スピネット)ピアノ「S1G」②木目の本体と黒い脚が特徴的なグランドピアノ「G2B」③明るい木目と黒のツートンカラーが美しいアップライト「U3B」。いずれも現代に通じる斬新なデザインで、15年ほど前から市場で注目が高まっているという。

 現在はネットを中心に、「どれも62年から66年ごろまでに製造・販売された」「レーモンドが東京の旧ヤマハ銀座ビルを設計したことを記念してピアノもデザインした」などの情報がまことしやかに流れている。また、モデル数についても「オルガンを含む5種」や「アップライト8とグランド1の計9種」など諸説入り乱れている。

 ◇2人は日本工業デザイン界の重鎮

 この混乱した事態の収拾に乗り出したのが、ヤマハのコーポレート・コミュニケーション部主事、木崎高宏さん(58)だ。約2年前に社外から問い合わせがあったことをきっかけに、過去の社内報や商品カタログ、特許庁の意匠登録データなどを精査。その結果、代表デザイナーを示す「意匠考案者」が①「S1G」はレーモンド②「G2B」は東京芸大名誉教授だった小池岩太郎氏(13~92年)③「U3B」は千葉大教授だった山口正城氏(03~59年)――だったことが最近分かった。また、一連のモデルの発売は50年代半ばだったことも判明した。

 新たにデザイナーと分かった日本人2人は、ともに工業デザイン界の重鎮だった人物。小池氏は日本インダストリアルデザイン協会理事長や毎日産業デザイン賞(現毎日デザイン賞)選考委員などを歴任。山口氏はドイツの造形学校バウハウスの理論を取り入れた先進的なデザイン教育を実践し、毎日工業デザイン審査員も務めた。当時の経緯について、木崎さんは「意匠考案者以外の人がデザインに関与していた可能性も捨てきれない」と断った上で、「デザイン面で欧米に追いつこうと、当時の社長の指示で国内の優秀なデザイナーたちに委託した。レーモンドもその一人で、旧銀座ビルは直接関係なかったようだ」と語る。

 ヤマハは当時、社外はもとより社内にもピアノのデザイナー名を公表しなかったという。では、なぜ誤った情報が流れたのか。木崎さんは、こう推測する。「大阪・心斎橋店のオープンを報じた54年1月の社内報に、S1Gとよく似た型番不明なピアノの横に立つレーモンドの写真が掲載された。これを見た誰かが『S1Gはレーモンドのデザイン』と理解。さらに、同じ商品カタログに掲載されていた他の機種もレーモンドのデザインだと誤解したのではないか」

 最初からヤマハがデザイナー名を公表していれば混乱しなかったとみられる。木崎さんは「有名デザイナーに依頼すれば今なら積極的に公表するだろうが、当時はまだ社内にデザイン部門もなく、開発に関わった人を公表するような発想そのものがなかった」と時代背景を説明。その上で「現代の価値観では、関係した人たちが正しく評価されるべきだ」と語る。

 新事実の発覚に対し、これまでにレーモンドのデザインとされていた機種を数台扱ったという東日本の中古販売業者は「どれもレーモンドらしい秀逸なデザインで大好きだったのに」と驚きを隠さない。「あくまでピアノの価値は音の良さにあるので、うちはレーモンドだからといって高く売ることはなかったが、お客様にはきちんと説明する必要がある」と話している。【望月靖祥】

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