川に飛び込んだホステス4人の報道機に 外国語で電話相談続ける理由

2025/12/07 13:45 

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 国内で初めて台湾語、北京語に対応する電話相談として1990年に開設された「関西生命線」(大阪市西区)が35周年を迎えた。台湾出身の伊藤みどり代表(77)=大阪市=が始め、留学や国際結婚、仕事で来日した台湾・中国出身の人たちに寄り添ってきた。これまでに応じた相談件数は約1万3000件に上る。

 伊藤さんは77年、日本人男性との結婚を機に来日した。当時は外国人が少なく、日本語も分からないため、何をするにも苦労した。台湾の実家に電話をかけることが心の支えだった。

 88年、新聞記事に衝撃を受けた。住まいの近くで2日連続、台湾出身のホステス4人が川に相次いで飛び込み、1人は死亡したという。「もし彼女たちの悩みを聞く相談窓口でもあれば、自殺を防げたのでは」。台湾でソーシャルワーカーとして電話相談の経験もあったため、開設を決意した。

 生活習慣の違いや人間関係を巡るトラブルなど、相談は多岐にわたった。阪神大震災(95年)では、知人の安否を求める相談があった。2011年の東日本大震災でも、経験のない原発事故に在阪の中国・台湾の人からも食べ物への心配などを訴える電話が相次ぎ、発生2カ月後には大阪市内でシンポジウムを開いて不安に応えた。原発事故の被災地で、ある町長が「放射線測定器がない」と話すのをテレビで見て、苦労して入手し、福島県まで届けたこともある。

 新型コロナウイルス禍では不安やストレスによる相談が増えた。中には自殺まで考える人も。不足していたマスクも配った。

 近年は相談はやや減少し、年間約300件にボランティア3人で対応している。だが深刻なケースがあり、1件に何カ月も奔走する。昔も今も多いのは国際結婚の悩みで、暴力に発展するケースがある。「自殺や事件にならないように、スムーズに日本の社会になじめるようにアドバイスしている」という。

 約20年前、暴力を伴うけんかを繰り返した国際結婚のカップルがいて、何度も夜中に家まで走った。2人は離婚したが、2年ほど前、日本にいる父に引き取られた息子から電話があった。母の行方を探していた。つてをたどり、外国にいる母となんとか連絡が取れた。伊藤さんは「いいことも、反省も、長年やって気づくことがある。いつも学ばせてもらっている」と言う。

 毎年の旧正月とお月見の時期などに、留学生同士や日本人との交流の場を設けてきた。11月には35周年記念の講演会を開催した。この35年で日本と中国、中国と台湾の関係も大きく変化。しかし、留学生同士が会えば和やかに過ごしている。「ニーズがあれば放っておけない」と伊藤さん。「政治的なことや考え方はいろいろあるが、私たちは人道主義の立場から支援を続けていきたい」と話している。【亀田早苗】

毎日新聞

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