トンガから来日して15年、苦難越え母校で監督に「花園で日本一目指す」

2020/07/31 10:00 

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 日本海に突き出た能登半島の中心部に位置する私立校。生徒の大半が寮生活を送る日本航空石川高校で、シアオシ・ナイさん(31)さんは2013年から寮監として勤務している。トンガ出身でラグビー部の留学1期生として来日して15年。大学でプロ選手を目指したが、度重なるケガで夢を絶たれ、母校に戻った。そして今春、全国高校ラグビー大会(花園)に15回出場を誇るラグビー部の監督に就任。新たな挑戦が始まった。【長宗拓弥】

 ラグビー界では、トンガ出身で元日本代表FWのラトゥ・ウィリアム志南利さん(54)が大東文化大で監督を務めたことがある。外国出身者の高校での監督就任について、全国高校体育連盟ラグビー専門部の天野寛之副部長は「聞いたことがない。初めてなのでは」と話す。

 19年秋のラグビー・ワールドカップ(W杯)では、リーチ・マイケル主将(31)=東芝=ら外国出身選手が日本代表として活躍。多様性がクローズアップされたものの、受け入れには消極的な見方があったのも事実だ。ナイさんも現役時代に「ガイジン」と呼ばれ、つらい経験もした。ナイさんは「彼らは代表で結果を出し、日本の社会に認められた。結果が世の中を変えていく。だから、外国人監督として花園日本一を目指す」と語る。

 南太平洋に浮かぶトンガで、4人きょうだいの一番下に生まれた。5歳でラグビーを始めると、ニュージーランド(NZ)の高校に進んだ2人の兄に刺激を受け、日本への留学を決意。「兄と違う道で成功したいと思った」と振り返る。

 来日時は日本語の「こんにちは」も知らなかった。それでも、部員らと練習や授業に励む中で自然と上達した。夜に日本のドラマを見て学習するのが日課で、お気に入りは「1リットルの涙」。感動して涙を流すほど理解できたという。

 ラグビーではFW第3列の中心選手として活躍。1年時に同校の花園初出場に貢献し、2年時は大会初勝利、3年時は16強入りの原動力となった。日本代表とトップリーグ入りを目指し、天理大に進学。しかし、両膝の靱帯(じんたい)を断裂するなど満足にプレーできなかった。手術を繰り返し、医師から「もう100%の状態でラグビーができる体ではない」と告げられた。「目の前が真っ暗になった」が、大学で腐らず努力を重ねていたナイさんに、母校が手を差し伸べた。職員として戻った。

 「寮の環境を整備したり、体調を崩した子がいれば病院に連れて行ったり。夜勤もあるし、いろいろな役割があります」とナイさん。ラグビー部のコーチにもなり、モールなど密集戦を武器にしていたチームに変化をもたらした。「プレーする選手も見ているお客さんも楽しい」と、積極的にボールを動かす展開ラグビーを志向し、選手それぞれのアイデアを生かすスタイルの定着を目指した。中型自動車の免許も取得し、自らハンドルを握って遠征に行き、チームの強化に力を注いできた。

 17年度の花園で初の8強入りを果たし、ここ3大会はシード校に選ばれる実力校に成長。19年度まで監督を務めた小林学校長(51)は「ナイもコーチ7年目。寮で部員と一緒に暮らし、生活面の指導もしっかりできる」と、信頼を寄せる教え子にバトンタッチした。

 生徒からは「シアオシ先生」と呼ばれる。主将のフッカー高原照英選手(18)が「練習に身が入っていないと厳しいが、寮では優しい。年齢も若いし、兄のような存在」と語れば、トンガからの留学生でNO8パトリク・バカタ選手(18)は「いつも助けてくれる先生と一緒に日本一になりたい」と慕う。

 この冬、花園は100回目の記念大会を迎える。強豪校の監督を託されたナイさんは「目標はもちろん日本一。私が実現できなかった世界の舞台で活躍できる選手を育てたい」と力を込めた。

毎日新聞

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