<figure-eye>from FUKUOKA 渡されたバトン 信じる自分
「お前もっと楽しめよ」
友はその言葉を残し、今春フィギュアスケートをやめた。福岡で見た最後の演技。彼の背中から「楽しむ」意味がひしひしと伝わり、こみ上げるものがあった。
福岡・博多で生まれ育った垂水爽空(そら)選手(19)は、母が元選手だったこともあり、物心ついた頃にはリンクにいた。ノービスラストシーズンの12歳だった2018年には、全日本ノービス選手権を制している。
ジュニアに上がり、ノービス1位の実績で海外大会へ2度出場。しかし、順風満帆のように見えて、競技の成績が伸びなかった。中学校でも、海外大会出場による同級生の妬みや、仲がいい友人とクラスが別になったこともあり、楽しくなくなっていった。競技も学校生活も思うようにいかなかった日々。スケートは「とりあえず続けていた」。
もっとスケートに集中したくて、高校は通信制のN高に進学するも、状況は悪化するばかり。結果が振るわず、周りの視線は冷ややかだった。スポーツは「結果が全て」とは分かっている。でも、普段の練習を知らない大人たちからかけられる「もっと頑張れ」の言葉に心をえぐられた。
21年7月には拠点としていた福岡市のパピオアイスアリーナが休館。代わりに電車で片道1時間かけて、福岡県飯塚市のリンクに通った。帰りは母の車で帰れたが、帰宅するのは深夜近く。共に夢を追った仲間たちからは、進学などを理由に高校卒業でやめる話も聞こえてきた。
周りに味方がいなくなっていく気がした。そのまま練習に行かなくなり、冬季国体にぶっつけ本番で出たことも。精神的に、もう限界だった。「僕も高校卒業したらフィギュアやめたい」。帰路の車内でハンドルを握る母につぶやいた。「やめていいわけないでしょ」。女手一つで育て、費用のかかるスケートを続けさせてくれた母の一言に返す言葉がなかった。
転機は、休館したリンクがオーヴィジョンアイスアリーナ福岡として復活した23年4月。元気で明るいコーチも加わり、「絶対に見捨てないからね」と励まされた。その言葉が凍り付いていた心をそっと解かしてくれた。
気づけば、スケートをやめずに大学生になっていた。今春から通信制の大学で心理学を学びながら、スケートに没頭する日々が始まった。
平日の正午過ぎ、一般客に交じってリンクで滑走開始。ランチは午後2時ごろ、自分でカロリー計算して作った弁当を食べ、大学の勉強もこなす。夕方からはリンクでコーチの指導を受ける毎日だ。
ひとり黙々と練習を続ける垂水選手は最近、お世話になった人たちに、楽しんで努力している姿を見てほしいと思うようになったという。「引退する友人の背中に僕が勇気をもらったように、僕が少しでも勇気を与えられれば」と語る。
今季のフリーは「ロミオとジュリエット」。曲も自ら編集し、「人生うまくいっても急に逆転したりするのが自分と重なる」という。また、昨シーズンのショートプログラム(SP)でギリギリだったという体力不足を補うべく、今季はさらに鍛えた。真面目でとことんストイック。昔から変わらぬ姿勢に、今は「楽しむ」という潤滑油が加わる。
「楽しむこと」の大切さを教えてくれたのは、親友の松下大地さん(19)だ。3月の大会を最後に氷上を離れ、ブライダル専門学校に通っている。
「大きな局面にはいつも爽空がいてくれた」。松下さんはずっと垂水選手を追いかけ、支えられてきた。小学生の頃から一緒に氷上で過ごし、母子家庭という境遇も似ていた。高校時代には不眠症や拒食症に悩んだ。そんな時、夜通し電話で話したり、スコーンを作ったりしてくれたのが垂水選手だった。スケートを続けていく環境の限界もあり、高校入学時から卒業と同時にやめると決めていた松下さん。最後、垂水選手に「楽しむ」という大きなバトンをそっと託した。
「めっちゃ楽しかった」と振り返る今季初戦のサマーカップは9位。今月の中四国九州選手権では自己ベストを大きく更新し、フリーでは1位だった。「やっといい点が出るようになって一安心」と、応援に駆けつけた母の隣で照れくさそうにほほえんだ。今まで思い詰めたように演技に臨み、終わるやいなや絶望感にさいなまれていた姿はもう無い。楽しんで、その先に結果がついてくる。そう信じて、今日もリンクへ向かう。【吉田航太】
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