【インタビュー】昭和100年、横浜銀蝿デビュー45周年ツアーへ 伝説の解散ライブを完全再現…

デビュー45周年を迎えた横浜銀蝿

【ソロ写真】見た目の現役感も健在!デビュー45周年を迎えた横浜銀蝿
■「今までありがとう」という気持ちを伝えたい
――昭和100年という年に、THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL(以下、横浜銀蝿)として45周年を迎えた今の気持ちは?
【翔】昭和100年という年に、よく節目の45周年が来たなとは思っているんですけど、本当は50周年がデカいイベントであって、45周年って中途半端なことは確かで。だけど45周年ツアーをやる意味は、2020年に「(横浜銀蝿)40th」として2年間限定でJohnnyと一緒にやって、その時嵐さんがJohnnyに「40周年は終わったけど、やっぱりお前いないとダメだよな」みたいな話をしていて…。そんな中で嵐さんが亡くなってしまい、横浜銀蝿を続けるのはどうなんだろうという気持ちもありつつ、逆に3人で団結して、2023年秋からJohnnyが完全復活したんです。そしてファンに対して「今までありがとう」という気持ちを伝えたいと強く思っているのが、今回のツアーなんです。
45周年ができれば次は50周年で、もちろんその時に永遠のリーダー、ソウルメイト・リーダーの嵐さんの話もするだろうけど、そこに引っ張られずに50周年を迎えられると思っていて。それに能登の災害復興もそうだけど、いろんなことが起こっている中でオレたちができることって「頑張っていこうよ」ってメッセージを発信することや、「忘れない」ということだと思っていて。少しでも傍まで行って、ファン以外の人たちにもメッセージを伝えたい。そういう意味でも、45周年にツアーをやる価値があると思ったんです。
【TAKU】オレは「40th」の時に還暦になったんですけど、オレらって、スキージャンプで言ったら80年代にバーンって飛んで、K点はもうとっくに超えている。あとはどれだけ飛距離を伸ばせるか。というつもりで今やっていて、だけど嵐さんのこともあったりして、ツアーやレコーディングも「もうこれが最後かもしれない」と、どんな仕事も悔いなくやろうという覚悟で臨んでいるんです。逆に言うと、もうやりたいようにやっちゃおうって。個人的な話をすれば、オレはベースで、オレがいなくなったら自分のプレイは音でしか残らないから、そのプレイをとことん極めたい。そういうことも含めて、今は飛距離をどこまで伸ばせるかに集中しています。とにかく時間が経つのが速すぎて。ついこの前が40周年で、今が45周年でしょ? あっと言う間すぎて、年々、スピードがあがりすぎ。
【Johnny】確かに、人間的にも20歳の頃と変わってないんだけど、よく考えたら、45周年、67歳なんだっていう感じ。でも、ラッツ&スターやロッカーズ、アナーキー、桑田(佳祐/サザンオールスターズ)さんとか、同世代が現役で頑張っているから、負けてられないぞっていう気持ちもありますね。それこそ数年前まで、またステージに立つなんて思いもしなかったし。1983年の年末に解散して30歳でレコード会社に入って、そこから裏方に回って。それが2018年の11月、デビュー当時のディレクターだった水橋(春夫)さんが亡くなって、20数年ぶりに翔くんに会ったところから始まって。以来、まったく想像していなかったことがいろいろ起きている。わからないからこそ、人生って楽しいんだと思います。車だったら、たぶん45年も経つと…。
【翔】廃車だろうね(笑)。
【Johnny】だから身体は大切にしつつ(笑)、80年代の横浜銀蝿を応援してくれていたファンでも、コンサートで動いているJohnnyを生で見たことない人がいっぱいいると思うんですよ。それを1回、見せたいな、と。
■雰囲気も見た目も“現役感”を大切に 動くメンバーを見てほしい
――今回のツアーで、新宿コマ劇場での解散ライブ(1983年12月31日)を完全再現するというアイデアは、そうやって生まれたんですね。
【翔】そうだね。ただ今は当時の銀蝿ファンだけでなく、新生「横浜銀蝿」で復活して、「(横浜銀蝿)RETURNS」があって、そして「40th」があって、今回また「横浜銀蝿」に戻って3人で走り始めて。だから復活後のファンからすると、当時のセットリストと言われてもピンとこないかもしれない。でもね、嵐さんがいて、一番勢いが良かった時のライブの再現を、嵐さんがいなくなってから走り出す3人の門出として、新しいファンにも理解してもらいたいなって。ただ、「最後のライブで何やったんだ?」って話なんですよ。そもそもあの日、何回(ステージ)やったんだっけ?
【TAKU】3回やったはず。
【Johnny】えっ、3回もやった?
【翔】オレは当日、1回目が終わって熱を出して。だからよく覚えてなくて。最後のステージは『散る。ぶっちぎり FINAL COUNT 10』で映像化しているんですけど、あれって編集上、セットリスト通りではないんですよ。しかも1983年の大晦日、ラストは23時59分59秒まで「横須賀Baby」を大合唱して、年が明けた瞬間に「あけましておめでとう、じゃあこれで終わりね」っていうライブだったから、会場にいたファンもそこはよく覚えているだろうけど、セットリストの記憶はないと思うんだよね。ただ、その最後のステージのセットリスト、オレ持ってるんですよ。
【Johnny】当時のノートが出てきてね。
――そうなんですか!
【翔】だから、あとはそれをどういうふうに料理するか。オレたちの歴史だし、今でも嵐さんがソウルメイト・リーダーでいる限り、当時の雄姿を見られなかったヤツらにも「こうだったんだよ」って伝えたいから、できるだけ当時の感じでやろうと思っていて。もちろんMCとかには遊びも加えていくと思うんですけど、当時の映像を繰り返し見ているヤツらがクスッとするようなことも、わざとちょっとやりたいですね(笑)。
――ちなみに、解散ライブ当時の想い出は?
【TAKU】翔さんが熱を出して、朦朧(もうろう)としてた。
【翔】38度超えで、ステージが終わったら、次のステージまで楽屋で布団かぶって。ただ最後のステージだけは逆に覚醒しちゃって。『散る。~』を見直したら、普段はめちゃくちゃ汗かくのに、あの時オレ、汗かいてないんですよ。相当ヤバかったんだろうなって。
【TAKU】それでもやらせるってブラックだよね(笑)。ただ解散ライブだから延期するわけにいかないし。当時、オレは23歳だったんですけど、「このバンドは今日でおしまいだ、燃え尽きよう」って。だからライブが終わった時、翔さんが「みんなのおかげで素敵なシンデレラボーイになりました」って言って、「その通りだな」って思ったことをすごく覚えていて。
【翔】ちょうど24時だったからね。
【Johnny】オレも同じで、青春の一番良い時期に、ひとつずつ夢を掴んでいって、それまで経験したことのない充実感でした。本当に完全燃焼したという思いですね。オレはその後に社会人を経験して、そうするとやっぱり我慢しなきゃいけないこともあるじゃないですか。それが数年前に2人と再会したら、コイツら本当に変わらないなって(笑)。それがすごく新鮮だったし、確かにオレもあの頃はこうだったよなって思ったんですね。だから今は、本当に楽しくて。
【翔】そうだよ、我慢しなくていいんだ。
【TAKU】オレも30歳から35歳までは裏方に行ったんですよ。ディレクター、プロデュース、あとマネージャーもやった。でも結局、人の面倒を見る役目より、また自分でベースを弾くようになって。それで最終的に行き着いたのは、オレの横に立ってつり合いがとれる人は、この人(翔)しかいなかった。隣りにいる感じとか、あとオレはハモることも多いから、声のハマり具合とかも含めて、いろんな人といろんなことをやってきたからこそ、そこまで達観できたんだろうなって。
【翔】何年経っても、横浜銀蝿のベースはTAKUじゃなきゃ考えられないし、リードギターは、やっぱりJohnnyが一番良くて。Johnnyのギターが入ると安心するし、TAKUなら、もうベースは任せておけば大丈夫。あうんの呼吸って言うのかな。最初の2~3年はやりたい曲をやって、それはそれで楽しかったんだけど、今は「横浜銀蝿はこうあるべきだ」っていうものが自ずと出てきているから、どんどん進化していて、より楽しいですよね。
【Johnny】音楽ってこんなに楽しかったんだって一番感じていて。だから今は、飯食ってる時以外は、ほとんど家ではギターを抱えてますね。
【TAKU】あと思うのはね、フェスやテレビの特番とかで同じように何周年とかの他のベテランバンドとご一緒するけど、雰囲気にしても見た目にしても“現役感”っていうのかな、そこだけは、オレたちってちょっと自慢できるんじゃないかな。
【Johnny】まさにオレも「40th」の時、Johnnyとしてステージに立つのであれば“現役感”がないって思われるのだけは絶対に嫌だと思いましたね。顔のしわとかほうれい線とか容姿に関してはもちろん変わりましたけど、ギタープレイに関しては上手い下手以上に当時みたいにツイストしながらのギタープレイをどこまで復活し1980年代当時のJohnnyを彷彿させられるか、夢を壊さないJohnnyでいられるか、そこは一番こだわったところですね。
【翔】見事に復活したよね。
【TAKU】当時と今との違いで言うとさ、昔のテープを聴いたりすると、翔さんの声もすごく若いけど、一番違うのはオーディエンスの歓声。“キャーッ”っていう(笑)。
【翔】アイドルみたいだったからね。手を上げただけで“キャーッ”ってなっちゃってたけど、今だったら「何?」って返されちゃうわけで(笑)。それでもとにかく、解散コンサートを知らない新しいファンも含めて、今回のツアーでもう一度動くメンバーを見てくださいって言いたいんだよね。オレたちが歩んできた軌跡だから、今回は嵐さんのことも含めて、もう一度、昔の横浜銀蝿を楽しんでもらう、そんなツアーにしたいと強く思っています。
【TAKU】今、翔さんが言った通り。とにかく楽しみましょうっていう、そんな気持ちです。
【Johnny】「40th」のツアー時は、まだマスクの規制があって。でも今回はまた昔と同じようにライブができるから、若いファンはもちろん、当時から応援してくれて、一緒に歳を取ってきた紳士、淑女の皆さんにも“キャーッ!”って歓声を上げてもらって(笑)、みんなで人生の晩春を謳歌しましょうよ、っていう感じかな。オレらも頑張るから、あの頃に戻って、精一杯、黄色い声援をたくさんください(笑)。
文・布施雄一郎
<ツアー情報>
■45th Live Tour 『1983.12.31 Final Countdown Setlist Retry』
1983年12月31日新宿コマ劇場で行われた第一期解散ライブ『ぶっちぎりFinal Count 10』のセットリストを完全再現のアニバーサリーメモリアルライブツアー開催
7月19日(土):福岡・福岡DRUM Logos 開場18:00/開演18:30
7月21日(月・祝):香川・高松オリーブホール 開場18:00/開演18:30
7月26日(土):石川・金沢EIGHT HALL 開場18:00/開演18:30
8月10日(日):大阪・大阪BIGCAT 開場16:30/開演17:00
8月11日(月・祝):愛知・名古屋ReNY limited 開場16:30/開演17:00
8月24日(日):宮城・仙台Rensa 開場18:00/開演18:30
9月21日(日):神奈川・KT Zepp Yokohama 開場16:15/開演17:00
編成 : 翔(Vo.&Gt.)・Johnny(Gt.&Vo.)・TAKU(Ba.&Vo.)・Jack(Gt.)・Atsushi(Dr.)
■茶話会 45th 地方巡業
7月19日(土):福岡・福岡DRUM Logos 開場15:30/開演16:00
7月21日(月・祝):香川・高松オリーブホール 開場15:30/開演16:00
7月26日(土):石川・金沢EIGHT HALL 開場15:30/開演16:00
8月24日(日):宮城・仙台Rensa 開場15:30/開演16:00
編成 : 翔(Vo.&Gt.)・Johnny(Gt.&Vo.)・TAKU(Ba.&Vo.)
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