【ANIAFF】片渕須直監督が描く“平安時代”『つるばみ色のなぎ子たち』映画制作と人材育成…

2025/12/15 09:00 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ANIAFFで『つるばみ色のなぎ子たち』で描くこれまでとは違う清少納言・枕草子・平安時代について講演を行った映画監督の片渕須直 (C)ORICON NewS inc.

 愛知県名古屋市で開催中の「第1回あいち・なごやインターナショナル・アニメーション・フィルム・フェスティバル(ANIAFF)」で14日、映画『この世界の片隅に』などで知られる片渕須直監督が登壇。現在制作中の長編アニメーション映画『つるばみ色のなぎ子たち』について、構想の背景から制作の現状、さらにはアニメーション制作と並行して進めている人材育成の取り組みまで、約2時間にわたり語った。

【画像】講演会場に展示された3点の作品ビジュアル

 冒頭、会場ではアップデートされた本作のパイロットフィルムが上映された。平安時代中期を舞台に、清少納言と中宮定子(一条天皇の皇后)の周囲を描いた映像がスクリーンに映し出されると、客席は一気に静まり返った。上映後、片渕監督は作品の出発点を振り返った。

 「2016年に公開された『この世界の片隅に』を作っている最中から、次はこういう映画を作りたいという思いが、どこかに芽生えていました。実はあの作品の中にも、『枕草子』の要素が少し混じり込んでいるんです」

 翌年、『この世界の片隅に』を携えて訪れたフランス・アヌシー国際アニメーション映画祭。滞在中、片渕監督は空き時間のほとんどを、持参した『枕草子』や平安時代関連の資料を読み込むことに費やしたという。

 「これは映画になるな、という確信が、その時間の中で少しずつ固まっていきました」

 舞台は平安時代中期。清少納言が『枕草子』を書き、紫式部が『源氏物語』を紡いだ時代だ。しかし、片渕監督がまず立ち止まったのは、「約1000年前の人々」と「いまを生きる自分たち」との距離だった。

 「作り手として、また観客として考えたとき、本当に無関係な時代なんだろうか、という疑問がありました」

 まず、タイトルにある「つるばみ色」について、当時の史料を丹念に読み解きながら説明。クヌギのドングリや樹皮を染料にした、素朴で落ち着いた「茶色系」の伝統色だが、平安中期において「つるばみ」とは、主に喪に用いられる黒を指す。

 さらに、『枕草子』の断片的な記述を時系列で再構成していることも明かした。そうして並べ直すことで、人物たちが時間の中で成長し、ある者が突然姿を消す理由までが見えてきたという。

 「『枕草子』は、のどかな随筆ではありません。生と死が隣り合わせの世界で紡がれた言葉です」

 『枕草子』の「春はあけぼの~」に代表される、のどかで風雅な平安像。だが史料を読み解いていくと、「教科書で習う平安時代とはまったく異なる姿が浮かび上がってきた」と片渕監督は言う。マラリアや天然痘と思われる疫病が繰り返し流行し、京都の街には病人や死者があふれ、高位の貴族ですら命を落としていた時代。そのただ中で、清少納言は日々を観察し、言葉を書き留めていた。

 中宮定子が父・藤原道隆を失い、その後母も亡くなって長い喪に服していたこと。その間、定子も女官たちも黒や灰色の衣をまとい、色のない日常を生きていたこと。史料をもとにした具体的なエピソードが語られるたび、客席からは小さな頷きが広がっていった。

 「“嘘だ”と言われてきた記述も、別の視点から読むと、十分に成立する可能性がある。文学としてではなく、“生の記録”として扱うことで、はっきりした物語が立ち上がってきました」

 片渕監督は、この作品で「雅な平安」ではなく、「不安と死と政治の中で、それでも日々を生きた人々」の姿を描きたいと語った。

■制作に時間がかかっている本当の理由

 後半、質疑応答の時間では、会場から「ここまで徹底的に調べているのであれば、学術的にまとめて論文にし、博士号を取ることは考えていないのでしょうか」といった質問も。これに対し、片渕監督は「文学博士、いいですよね。ただ、僕は芸術学部の人間なので、取るとしたら“芸術博士”になるんです。ちょっと不思議な立場ですよね」とにこやかに応じ、「学術的かどうかは分からない」と前置きしつつも、こう語った。

 「でも、ここまで調べたことは、一つの“可能性”として世の中に残しておいた方がいいと思っています。正しいかどうかは、後の人が判断すればいい。ただ、可能性として提示する価値はあるんじゃないかな、と。原稿としてまとめ、出版したいという思いもあるが、それでは映画はいつ作るんですか?ということになる(笑)。けれど、両方やりたいと思っています」

 さらに話題は制作の現状へと移った。現在、製作委員会を組成中で、公開時期は未定。ただし制作は着実に進んでおり、この日上映されたパイロットフィルムのように改訂を重ねているという。

 2020年ごろから具体化した本作の制作過程で、片渕監督が強く意識するようになったのが、「アニメーションの作り方」そのものだった。

 「平安時代を単に“描く”のではなく、生活が感じられるところまで描こうとすると、従来の記号的な動きでは足りないと感じました。そうなると、そういう動きを描けるスタッフを、自分たちで育てるしかない」

 アニメ制作で作画監督が原画(レイアウトや清書された原画)を絵柄の統一感やキャラクターの演技(表情・動き)を確認し、修正・描き直すことはごく一般的に行われているが、片渕監督のスタジオ「コントレール」では、原画を担当したアニメーターに言葉で意図を伝え、描き直してもらっているという。実写映画の演技指導に近いイメージで、「最後まで『これは自分のカットだ』と胸を張って言える状況を作ることが、とても大事だと思っています」。

 基礎から鍛え直す現場での具体的な取り組みが紹介されると、会場の空気も一段と引き締まった。「今やっているのは、“ものづくり”というよりも、“ものづくりができる体制を一から作り直す”ことです。この作品には、それが必要だと感じています。時間がかかっているのは、そのためでもあります」。

 そして、片渕監督は「これは、昔に戻ろうという話ではありません」と強調した。過去の制作手法を懐かしんでいるのではなく、長年の現場経験を経て、「いまの制作環境の中で、いまやらなければならないこと」を突き詰めた結果だという。「関わる人が“自分がやった”という実感を持てる形が、結果的には一番合理的なんじゃないかと思っています」

 現在、そうした考え方に共鳴する若いアニメーターたちが育ち始めていると、片渕監督は手応えをにじませた。『つるばみ色のなぎ子たち』は、一本の映画であると同時に、平安時代の考証とアニメーションの未来へ向けた試みでもあることを、強く印象づけるイベントとなった。
ORICON NEWS

エンタメ