家業の「いかめし」継いだ一人娘は「二刀流」 もう一つの意外な素顔
全国各地で開催される物産展や駅弁フェアで人気の高い北海道森町の「いかめし」。創業80年を超えた「いかめし阿部商店」の3代目社長、今井麻椰さん(33)は、もう一つの顔がある。プロバスケットボール・Bリーグのリポーターだ。「いかめし」と「リポーター」という異色の二刀流の道を歩む若き経営者を追った。【貝塚太一】
今年10月、東京都渋谷区の代々木公園で開かれた「第34回北海道フェアin代々木」に今井さんの姿があった。笑顔で客に声をかけながら、自ら販売する。接客中に「一緒に写真を撮ってほしい」と声をかけられることもあった。隣接する体育館でのBリーグの試合日とも重なり、バスケファンも、リポーターとして活躍する今井さん目当てに試合後、出店の前に列をつくっていた。
今井さんは2013年に東京の大学を卒業後、カナダに1年半、留学した。留学中にアメリカで開催された北海道フェアで、家業のいかめしの実演販売を手伝う機会があった。試行錯誤しながら、外国人が好む日本の食べ物をプレゼンした。好評を博して、いかめしは大人気商品となった。
人に伝える楽しさを知って、アナウンサーの道に進むことを決め、帰国後にアナウンサー養成学校に通い始めた。BSフジの学生キャスターにも採用され、生放送でニュースを読む経験もした。16年にBリーグ初の応援番組のオーディンションがあって応募。アシスタントMCとなり、活動を続けている。
家業の「いかめし」も、一人娘として幼少期から手伝ってきた今井さんにとっては「いつも自分のそばにいる兄弟同然」で味と伝統を守り続けていきたいと考えていた。20年5月、29歳で3代目の社長として家業を継ぐことを決意し、異色の「二刀流」が始まった。
当時は新型コロナウイルスが流行し、イベントは中止の連続。催事での売り上げが中心のいかめし販売にとって、過酷な船出となった。だが、オンラインでの販売も始め、数少ない催事で必死に奮闘した。
3代目社長としてメディアに出る度に、初めていかめしを知る若い世代の新しい客が増えた。また、地方の催事で大勢のバスケファンが駆けつけてくれ購入してくれたこともあった。バスケの試合会場で販売させてもらえたこともある。リポーターといかめしの二つの仕事が、互いによい影響を与える中、「自分にしかできないこと」に自信をもって貫けるようになっていった。グッズ販売や新商品開発なども、いかめしの伝統の味を守りながら、新しいチャレンジを続けている。
代々木公園での昼食休憩中、今井さんがほおばっていたのはいかめしだった。「どれだけ食べても、いかめしは全く飽きない」と笑顔を見せた。先代の父親、俊治さんも「あれだけいかめしが好きな人は、ほかにいない」と話すほどだ。いかめし愛、バスケ愛――自分が大好きなものとひたむきに向き合いながら、今日も思いを声にのせて伝え続けている。
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