「あの時にお別れした軍人さんは」 初の特攻「敷島隊」、先輩の最期
終戦から80年の夏。当時を知る人は減り、戦争の記憶が徐々に失われつつある中、四国の戦争にまつわる場所を記者が歩き、ゆかりの人たちを訪ねた。
◇初の神風特攻隊「敷島隊」
1944年7月末、愛媛県西条市の旧制西条中学校(現県立西条高校)。教室に伝令係の生徒が駆け込んで来て、「直ちに運動場に集合せよ」と告げた。校庭に整列すると、青空の下、真っ白な軍服に身を包み、腰に短剣を差した体格の良い軍人の姿が見えた。教頭の紹介を受け、軍人は朝礼台の上に立った。
「私は君たちの先輩、39回の関である。これから前線に赴く。もう君たちとは会えん。後に続くを信ず」
同市の吉本勝さん(94)は、その暑い日の情景を鮮明に記憶する。朝礼台の上に立つ母校の「先輩」に、挙手の敬礼をして別れた。
軍人は同市出身で、旧制西条中から海軍兵学校へ進んだ旧日本海軍の関行男大尉(1921~44年。特進で最終階級は中佐)。同年10月のフィリピン・レイテ沖海戦で、初の神風特攻隊の一隊「敷島隊」の隊長として、新居浜市出身の大黒繁男・上等飛行兵(特進で最終階級は飛行兵曹長)ら隊員4人を率い出撃。米空母「セント・ロー」を撃沈させるなどの大戦果を挙げた。
関大尉が、フィリピン・サマール島沖で散華したのが同25日。吉本さんは数日後、朝礼で校庭に並んでいると、校長が関大尉の戦死を伝えたのを覚えている。「あの時にお別れした軍人さんが、関さんだったのか」。校庭が静まり返る中、あの暑い日に見た関大尉の姿に思いをはせた。
吉本さんはその直後、関大尉の壮絶な「最期」を新聞で知る。
同29日付の毎日新聞1面には、「愛機に爆装、軆當(たいあた)り」「敵機もろ共轟炸(ともごうさく)」との見出しが躍る。記事では、「神風特別攻撃隊(必死必中隊)」が「猛烈な防禦(ぼうぎょ)砲火の眞只中(まっただなか)を眞一文字(まいちもんじ)に敵空母に直進」したと報じている。
「先輩、とうとうやったか!」。吉本さんは、関大尉の最期を知った時の心境について振り返る。いずれ遅かれ早かれ、自分も国のために一命をささげるつもりでいたという。
初の特攻隊として、敵空母を撃沈するという戦功を挙げた「敷島隊」の5人は、戦中には真珠湾攻撃の「九軍神」と同様、「五軍神」としてたたえられた。だが、関大尉の生涯をつづった「敷島隊の五人」(森史朗著)は、終戦後には「『軍神』は『戦争犯罪人』とも批判され、『特攻』は『犬死』扱いとなった」と記している。
関大尉の特攻から31年後の75年、西条市の楢本(ならもと)神社に慰霊碑が建立された。奉賛会の上野陽一副会長(77)によると、海軍兵学校時代に関大尉の教官だった宮司の強い希望で建てられたという。後に大黒上等飛行兵ら4人の碑も建立された。境内の記念館には敷島隊員の写真が並び、在りし日の英姿を伝える。
今年7月に記者が慰霊碑を訪ねると、静かな時間が流れていた。かつて、前線へ赴く直前の関大尉が訪れた母校からもほど近く、あの暑い日のように強い日差しが照りつけていた。81年前の夏、関大尉はどんな思いで朝礼台に立ったのか。吉本さんが目にした情景を脳裏に思い浮かべて想像すると、わびしさが胸に迫った。
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