ガラスが突き刺さり… 「模擬原爆」再現、核の怖さ訴え 大阪

2026/07/27 12:15 

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 太平洋戦争末期、米軍の原爆投下訓練として大阪市東住吉区田辺地区に「模擬原爆」が落とされてから26日で81年を迎えた。爆風で今も本堂が傾いたままの恩楽寺で同日に追悼式が開かれ、地元住民や市内小中学校の子どもら約90人が参加した。

 模擬原爆は1945年7~8月、全国各地に49発が投下され、計400人以上が犠牲となった。長崎県に投下された「ファットマン」とほぼ同型、同重量だったとされる。大阪では7月26日に恩楽寺の北側約150メートルに約5トンの模擬原爆が投下され、7人が死亡、73人が負傷した。

 田辺模擬原爆追悼式実行委員会の吉村直樹さん(79)によると、地元では長らく「大型爆弾」と認識されていたが、91年に「模擬原爆」だったと判明。2001年、犠牲者の遺族が爆心地近くで慰霊碑を建立し、同年から毎年追悼式が開かれてきた。建立場所にマンションが建設されたため、慰霊碑は現在、恩楽寺に移っている。

 追悼式では、投下された午前9時26分に合わせて黙とうし、当時を知る住民らが体験を語った。投下時、恩楽寺の向かいにあった自宅近くで遊んでいた橘住雄さん(88)は「ドカーンとなって家の瓦が下に落ちて割れた。家に帰るとガラスは全部割れていて、ふすまに突き刺さったりしていた」と話した。

 今年は初めて、模擬原爆を再現した模型の写真(縦約1メートル80センチ、横約3メートル50センチ)の展示もあった。用意した東住吉平和委員会の浅野純一副会長(76)は「改めて核の怖さを知ってもらい、原爆をこの地上からなくしたい」と語った。【松本美緒】

毎日新聞

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