『アニー』出演の子役、27年後は? 厳格な母の期待と発達障害…絶望からの意外な現在に大反響

2026/03/19 11:40 

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ミュージカル『アニー』出演時のえりさん(Instagram/@uchuchaiより)

 母親の夢でもあった俳優になり、蒼井優と同じ27年前にミュージカル『アニー』に出演したえりさん。ADHDと学習障害の特性があり、小学生時代は周囲と馴染めず苦労したこともあった。母の死後、逃げるように実家を出て、社会人としてがむしゃらに働き心が疲弊していった。その後、結婚を機に田舎暮らしを始めた。そんな彼女の半生を振り返った動画が、55万回再生を超える反響を呼び、「静かに沁みてくる」「心が温かくなりました」「田舎暮らし素敵だなー」などとコメントが寄せられた。幼少期から振り返り、現在の活動や生活について、えりさんに話を聞いた。

【ビフォーアフター】アニー出演から27年後は?

◆「私がやるしかない」母の期待にこたえるために『アニー』に出演するも…

――ミュージカル『アニー』出演を振り返る動画が反響を得ました。俳優活動をしていた子ども時代について教えてください。

「私が3歳の時、父のDVが原因で両親が離婚しました。それまで母は家を出られない状況にいたため、離婚後は水を得た魚のように趣味を楽しむようになりました。ミュージカルが好きで、昔は舞台に憧れていたそうですが、私を妊娠して諦めたと聞きました。私と弟を芸能事務所に入れ、弟はディズニーの子ども用自転車のCMに出演したのですが、同級生に知られたのが嫌だったらしく、事務所を辞めました。母がとても悲しそうだったので、『私がやるしかない』と勝手に使命感を抱き、それから友達と遊ぶ暇もなく、毎日レッスン三昧でした」

――『アニー』には、いつ出演したのでしょうか?

「1999年に3度目のオーディションでやっと合格しました。小学校6年生の時からミュージカルの稽古が始まり、中学1年生で出演しました」

――『アニー』に出演する前は、どのような学校生活を送っていたのですか?

「それまでずっと学校でいじめに遭い、いつも独りぼっちでした。ADHDと学習障害の特性があり、周りと馴染めませんでした。おまけに勉強もできなくて、会話を理解できず、忘れ物も多かった。先生にげんこつをされたり、バケツいっぱいの水を両手に持たされ、教室の後ろや廊下に立たされていました。母には『発達障害なんて恥ずかしいから絶対に人に言っちゃダメよ』と言われていました」

――『アニー』出演をきっかけに、家族や周囲の人たちの反応は変化しましたか?

「出演が決まった途端、周りは手のひらを返したように、目を輝かせて私を尊敬の眼差しで見るようになりました。同級生だけでなく、先生までも同じ対応でした。今まで私を無視していた子たちが急に友達のように接し、複雑な気持ちになりました」

◆母の死、祖父や弟からの厳しい言葉…絶望の中、逃げるように実家を出た過去

――その後の学生生活はどうでしたか? 「歌とダンスの人生。音大に入学し練習漬けの日々。自分の夢は何だったのか?」と投稿されていましたが…。

「『アニー』出演をきっかけにヘアメイクという夢ができ、母に『高校は美容専門学校に行きたい』と伝えたのですが、『今さら何を言っているの!』とものすごく怒られ、諦めました。その後は、母の希望で音大に行き、レッスン漬けの日々を送っていたのですが、音大卒業式の翌日、突然母が植物状態になり、1年後に亡くなりました。それまで夢を見ないように生きてきたので、好きなことや夢を抱く感覚が鈍くなっていた。母が亡くなり、どうやって生きたらいいのかさえわからず、長いこと迷走していました」

――お母さんが他界し、歌とダンスを辞めたそうですが、その決断をした理由は?

「母の離婚後から同居していた祖父の言葉がきっかけです。『えりが今歌っていても誰ひとりとして喜ばない。むしろ歌を続けることで周りを不幸にする。舞台に立つことを誰も望んでないから今すぐ辞めろ』と言われ、絶望しました。幼少期から都心までレッスンに通い、地方公演などで母が私に付きっきりで、弟は鍵っ子でした。その弟には、『お前のことは家族だと思ったことがない』と言われ、夜逃げをするように実家を出ました」

――歌とダンスを辞め、現在はどのように感じていますか?

「過去のことを考えると、『あのとき、もう少しメンタルを保てていたら…』と後悔する気持ちも出てくるかもしれません。でも後悔したり、別の自分を妄想したところで、キリがないし何も変わらない。過去は振り返らず、とにかく今できることしか考えていないです」

――Instagramでは「社会人としてがむしゃらに働き、メンタル的にはダークサイドに堕ちてました」と投稿されていました。現在は都会の喧騒を離れ、神奈川県の田舎暮らしとのことですがきっかけは?

「田舎暮らしのきっかけは夫です。出会った当時はお互いにアドレスホッパーで、旅暮らしでした。コロナ禍をきっかけに田舎で家を借りることにしました。私は都会育ちで旅行も海外派だったので、日本の田舎をよくわからず、旅行気分で夫の希望する場所について行きました。次第に都会が恋しくなり、『田舎は何もない!』と退屈するようになり…」

◆「サクッと立ち寄れるチャイスタンドを作りたい」田舎暮らしで見つけた新たな夢

――そこから田舎の生活が楽しくなったきっかけは?

「ローズマリーの栽培を始め、今では50種類以上のハーブを育てています。それから、アニメ・漫画・ゲームなど、幼少期には『レッスンの邪魔になるから』と禁止されていた趣味に没頭しました。さまざまな文化に触れ、『田舎には何もない』ではなく、『私の中身が、何もなかったんだ』と気づかされました」

――田舎暮らしをして始めて変化したことはありますか?

「自分で育てたハーブをお茶や料理に使ううちに体調が良くなり、PMS(月経前症候群)や生理痛がよくなりました。それから、ハーブについて独学で勉強しました。チャイやお菓子に入れるとおいしくて、友達に振る舞ったら『お店を開けるよ!』と言ってもらえて。その時に『カフェを開きたい』という夢を思い出しました」

――その夢はいつ持ち始めたのですか?

「音大生の頃、母に『夏休みは音楽の勉強でイタリアに』と言われたのですが、反抗してインドに行きました。初めて飲んだチャイに感動し、生活に溶け込んでいる文化が魅力的だと感じました。その年の冬休みは、母の同行でイタリアへ行ったのですが、音楽よりもイタリアのバール文化(立ち飲みカウンターが中心の日常的に利用する喫茶・飲食店で街の暮らしを支える社交場)に惹かれ、『日本にもこんな空間があったら』と思いました」

――それが現在の夢や目標にもつながっている?

「インドで飲んだチャイが忘れられなくて、『サクッと立ち寄れるチャイスタンド』を作ることが、今の夢です。甘さを控えめにして、手作りの植物性ミルクやノンカフェインのルイボスティーに変えたり、チャイを追求していくうちにどんどんハマっていきました」

――Instagramでは、チャイについての投稿に反響が寄せられています。どのように感じましたか?

「初めてチャイの投稿をした際に300万回再生を越える反響があり、『チャイが好きな人ってこんなにもいるんだ!』と驚きました。『私のチャイが飲みたい』と思ってくれた人たちに、チャイを届けることが目標です。まだ夢の途中ですが、これからも私のリアルを発信していけたらと思います」
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