「先生の思い引き継ぎます」 被団協に平和賞 肥田さん墓前に報告
自らも広島で被爆した医師でありながら、被爆者医療や核廃絶運動に力を尽くし、2017年に100歳で亡くなった肥田舜太郎さん。埼玉県被爆者協議会(しらさぎ会)の名誉会長などを務めた。看護師として肥田さんとともに働き、親交のあった4人の女性が17日、さいたま市にある肥田さんの墓を訪ねた。「先生おめでとう、よかったね」。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞を報告した。【萩原佳孝】
墓前を訪ねたのは、9歳の時に広島で被爆した、しらさぎ会副会長の木内恭子(ゆきこ)さん(88)と、鈴木百合子さん(78)、水野岩子さん(77)、鈴木智子さん(69)。
1945年8月、肥田さんは軍医として勤務していた広島で負傷者治療に向かい、入市被爆した。戦後、行田市や旧浦和市で診療所を開設。78年に川口市にできた埼玉協同病院の院長や、日本被団協の原爆被爆者中央相談所理事長として、92歳で一線を退くまで6000人以上の被爆者を診察した。その経験をもとに、数十年たっても、がんや白血病で被爆者をさいなむ核の脅威を世界に訴える活動に取り組んだ。
木内さんらは看護師として、埼玉協同病院の被爆者外来などで働き、被爆者の苦しみに寄り添う、肥田さんの仕事ぶりや人柄に接してきた。鈴木智子さんは晩年の肥田さんに付き添い、最期を看(み)とった。「気さくでお話好き、人の心を引きつける魅力のある人でした」と振り返る。一方で、「被爆のことをもっと勉強しなくてはダメだ」と叱咤(しった)されたこともあったという。
4人はノーベル賞受賞を伝える新聞の切り抜きや、自宅庭で摘んだ花束、受賞祝いの赤飯や好物だったというおまんじゅうなどを墓前に供え、思い出話に花を咲かせた。
肥田さんは99歳まで講演活動を続けた。「被爆者は生きているだけで宝。自分の命を主人公に長生きして」と、繰り返し話していたことが4人の心に深く残っているという。
「もうちょっと元気で長生きしてくれたら、喜ぶ顔が見られたのに」と声をそろえ、「核廃絶の草の根の運動の火付け役だった先生の思いを引き継いで、私たちも力を尽くしたい」と話した。
-
ベトナム人ガールズバー経営者ら17人逮捕 無許可営業の疑い
無許可でガールズバーの女性従業員に接待をさせたとして、警視庁保安課は21日、経営者のズオン・ティ・ミン・ホン容疑者(28)=東京都台東区台東4=と従業員らベト…社 会 1時間前 毎日新聞
-
東京・渋谷の複合ビルで火災 19階から出火か、20分でほぼ消火
21日午前10時35分ごろ、東京都渋谷区渋谷2の複合ビル「渋谷アクシュ」が燃えていると、119番があった。警視庁渋谷署などによると、19階から出火したとみられ…社 会 2時間前 毎日新聞
-
袴田さん再審無罪 静岡県警本部長が自宅訪れ本人に謝罪 浜松
1966年に静岡県清水市(現静岡市)で一家4人が殺害された事件で、強盗殺人などの罪で死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審無罪判決が確定したことを受け、県警の…社 会 2時間前 毎日新聞
-
逆立ちや水平… 高さ10m、遊ぶキツネ表現 長崎で「竹ン芸」
竹に登って曲芸を披露する「竹ン芸」(国選択無形民俗文化財)が14、15日、長崎市伊良林2の若宮稲荷神社であった。 竹ン芸は、江戸時代に始まったとされ、祭りば…社 会 4時間前 毎日新聞
-
戦時中に金属不足で製造 「幻」の陶貨50万枚、京都で発見 造幣局
造幣局(大阪市北区)は、戦時中の金属不足によって製造された陶器の貨幣が、当時の製造業者跡地(京都市東山区)にある倉庫から大量に発見されたと発表した。陶貨(とう…社 会 5時間前 毎日新聞