江戸川乱歩の生家跡医院保存へ 取得のファン「ミステリーの聖地に」

2025/05/20 06:15 

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 三重県名張市出身の作家、江戸川乱歩(1894~1965年、本名・平井太郎)の生家跡に建つ元医院の保存が決まった。生誕地と縁が深い地元の乱歩ファン、辻孝信さん(65)が取得し、「乱歩の世界観を体験するミュージアム」を構想している。国内外のミステリー愛好家に加えて、近年はサブカルチャーの文脈で若いファンが増えている乱歩。辻さんは「元医院に漂う昭和の怪奇、不気味な雰囲気が乱歩作品と重なる。ミステリーの聖地にしたい」と意気込んでいる。

 乱歩は父の転勤で生後数カ月で名張を離れ、平井家が住んだ借家周辺は元医院に建て替えられた。乱歩と名張の縁はほとんど途切れたが、地元議員の応援演説を頼まれて57歳で改めて訪れた。演説後、地元書店主らが乱歩を訪ねて、生家跡の医院などを案内し、関係者を紹介。その一人が、辻さんの曽祖母せきさんだ。その母は医院の娘で、乱歩が生まれた時にお産を助けたよしへさん。乱歩はせきさんと昔の様子を語り合ったという。

 1955年には、書店主らが発起人となり、医院の中庭に乱歩の生誕地碑を建てた。除幕式には乱歩も招かれ、夜の宴会に学校での講演、香落渓(かおちだに)や赤目四十八滝の観光などを通して名張の人々と交流した。乱歩は翌年、「市や個人の金持ちの企画でなく、町の人々が自発的に六十年もごぶさたしていた私に対して好意を見せてくださったのは、実にありがたい」と雑誌で振り返っている。

 辻家は江戸時代の本陣(身分の高い人らの宿泊場所)。明治期に現在の名張市新町に移り、酒店を営んだ。現在、辻さんは市内で紅茶専門店を経営している。2024年2月ごろ、「元医院が売却される」と聞き、「乱歩生家跡で、作品と重なる雰囲気の場所を何とか残せないか」と感じた。医院は16年に廃業し、その家の人も乱歩ゆかりの場所が気がかりだったが、維持は困難と断念したと知った。辻さんも資金繰りが難しく、諦めかけたが、何とか取得した。

 元医院は鉄筋、木造など2階建て(延べ約570平方メートル)。1959年の伊勢湾台風で被害を受け、61年までに増改築した。昭和レトロな外観と共に、昔風の受付や、おどろおどろしい手術室など、乱歩作品の怪奇的な描写に重なる雰囲気が漂う。別棟の居宅は大正~昭和初期築とみられ、木造2階建て(延べ約150平方メートル)。居宅からは、移設された乱歩生誕地碑がある広場が見える。

 乱歩が生まれた借家は敷地北東角にあった。幕末には名張に滞在した人形師、安本亀八が別棟に暮らした。興行用の生き人形(等身大でリアルに表現した力士など)で知られ、地方の滞在先では有力者らの精巧な人形を作った。近年の調査で、約2年間滞在した名張には最も多くの作品が現存すると判明し「時を経て、世界観が重なる作家が同じ場所で生まれた」と驚かれた。

 元医院が建つ旧市街地・旧町には、乱歩が歩いて眺めた風景が残るが、町家の維持に悩む高齢の住人が多い。辻さんは「貴重な風景を残す最後のチャンス。世界に幅広い世代のファンがいる乱歩でまちを盛り上げたい」と話す。鳥取県の水木しげるロードなどにならい、多くの人が歩いて巡る街を夢見ている。乱歩ミュージアムの整備に向け、近くクラウドファンディングでも協力を呼びかける。【久木田照子】

毎日新聞

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