「生涯修業」 俳優・仲代達矢さん 健康法は好きな芝居への「恐れ」
92歳で先月亡くなった俳優の仲代達矢さんが、自ら出演した映画の代表作に挙げていたのが小林正樹監督の「切腹」(1962年公開)だ。大きな目に哀れみの色をたたえる浪人を怪演した。強大な武家に一人で乗り込み、その陰湿さと空疎さにじわじわと迫っていく。善と悪、虚と実、そして静と動の対比がさえ渡り、133分の長尺にいささかの弛緩(しかん)もない。まさに完璧。中心には当時29歳の仲代さんがいる。
仲代さん80歳の時、インタビューする機会があった。数々の出演作について「あしき体制に抵抗し、敗れる人間の役が多い」と振り返り、その象徴たる「切腹」の主人公の浪人を「生き様と死に様を自分の意志で決めた男」と分析した。だから映画を見る者は「お前ならどうする」と問われ続け、浪人の肩に乗り、正義の回復を図る苦しい道行きをともにする。その先にカタルシスが待っている。
役作りについて質問すると「監督に殉じ、埋没するのが一番いい」と言った。引き受けた以上はどんな要求、演出にも応えてこそプロフェッショナル。「切腹」と同じ62年公開の黒沢明監督「椿三十郎」では三船敏郎さんとラストで対決する悪役となり、目つきの悪さはとても同じ役者とは思えない。フリーを貫いたがゆえに、大作を撮って勝負をかけようとする名監督たちから相次いでオファーを受け、スケールの大きな演技で期待に応え、それぞれの代表作たらしめてきたのが仲代さんだ。
82歳の時は戦後70年を巡り、作家の柴崎友香さんと対談してもらった。場所は東京・世田谷にある仲代さん主宰の俳優養成私塾「無名塾」の稽古(けいこ)場。出迎えた仲代さんは柴崎作品を複数読み込んでおり「登場人物がちょっとオドオドしている感じがすごくいいですねえ」とたたえた。
対談では「敗戦の時は12歳。国のために死ぬのが当たり前と思っていたが、大人たちは1日で親米派になった。その時のニヒルな感じが役者になった根源」と話した。空襲や飢餓に苦しめられた「最後の戦争体験者」として「猛烈な反戦演劇なり反戦映画」を作りたいと望んでいた。
ところで私事ながら、この1カ月の間に3回も台所で生卵を落として床にぶちまけた。小学生の息子の野球の練習に付き合って打球を追うと、差し出したグラブの数十センチ先をボールは通過し、体勢を崩してずっこけた。車の車庫入れは得意だったのだが近年は一発で入らないどころか、降りてみると派手に斜めになっている。今日こそはラインに沿わせるべく、後退させながら首を出そうとするとゴン!と大音響。窓が閉まっていることに気づかず頭を強打した。この不如意。老化であろうか。だがまだ51歳、先が思いやられる。
そういえば仲代さんへのインタビューでは、膨大な量のせりふを覚え、体を酷使する役者稼業の健康法も尋ねた。答えは「……ない。肉は食らうし晩酌は焼酎3杯。……好きな芝居への『おそれ』ですかね」だった。芝居を恐れ、かつ畏れるゆえだろう、無名塾の門をたたいた若者とともに鍛錬を重ね、俳優道の最高峰であり続けた。今年の5~6月も舞台に立ち、文字通り現役のまま逝った。
仲代さんの信条は「生涯修業」。不如意を嘆いている暇はない。凡人たる私こそ心身を鍛え直さねば。【和歌山支局長・鶴谷真】
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