Mrs. GREEN APPLE大森元貴「多くの人に見てもらえる機会が増えた」今だからこそ…

2025/05/06 13:00 

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Mrs. GREEN APPLE・大森元貴

 Mrs. GREEN APPLEが新曲「天国」をリリースした。公開中の映画『#真相をお話しします』の主題歌として書き下ろされた同曲。バンドのフロントマン・大森元貴は菊池風磨(timelesz)とのダブル主演も務めている。

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 新曲は、これまでのMrs. GREEN APPLEのパブリックイメージとは打って変わった鬼気迫る張り詰めたテンションとダークなモチーフを持つ一曲だ。筆者は3月上旬に都内某所で催された先行試聴会でこの曲をいち早く聴くことができたのだが、それはタイトルもリリース日もタイアップも明かされず、何の前情報もないまま曲を聴いてその感想をSNSにポストするという異例の試みだった。

 果たしてこの曲はどのようにして生まれたのか。アニメ『薬屋のひとりごと』オープニングテーマの「クスシキ」もスマッシュヒットし、合計55万人動員予定の5大ドームツアー『DOME TOUR 2025 "BABEL no TOH"』の開催も発表。10周年を迎え、ますます勢いを増すバンドの今の状況を大森はどう捉えているのか?じっくりと話を聞いた。
(取材・文/柴那典)

■「めちゃくちゃ快感でした」演技で感じた面白さ

――まずは「天国」について聞かせてください。これは映画『#真相をお話しします』の主題歌ですが、オファーを受けてまずどんなことを考えましたか?

これは俳優としてのオファーが先だったんです。その後に映画チームと主題歌をどうしようかという話になって。ソロでの楽曲制作も提案していただいたんですけど、今のMrs. GREEN APPLEが持っているエネルギーを考えたら、より多くの人にこの映画を届けるためにはバンドが母体となって担当させていただく方がいいんじゃないかという話をして。撮影期間中にそういう話をしたので、ちょうど今なら役も入っているし、このタイミングで書いちゃおうと思って。途中に撮休期間があったので、そこで曲の大枠はほぼ作りました。後半は主題歌を聴きながら役を演じられたので、そのくらいの時系列だった気がします。

――そもそも俳優としてのオファーが来たときにはどう思いましたか?

最初はお断りしていました。ミセスもあるし、バンドがとても調子いい状態で他のことを始めるというのはファンに対しても、世間的にもあまりいい印象を抱かれないかなと思って。でも、実際に(映画のスタッフと)会ってすごく熱意と愛のある説明を受けて、「なるほど、だから鈴木って役は僕へのオファーなんだ」みたいに腑に落ちたんです。「だったらお力添えできることがあるのかもしれないです」という話をしました。

――映画を拝見してまず思ったのが、大森さんの演技力の高さでした。ミュージシャンが演技もやってみましたというレベルではなく、俳優として深く役に入り込んでいる印象でした。演技についてはどんなふうに向き合ったんでしょうか。

うれしい、ありがとうございます。表現をすることに対して普段からものすごく興味はあるので。言葉を扱うという意味では、大枠ではお芝居も歌と同じではあると思うんです。お芝居をするとか、何か違うお仕事を始めるということに関しては、個人的には好奇心しかなかったです。

──演技をやってみて得るものはありましたか?

もちろん。誰かになるって、自分がどういう人なのかを知るきっかけにもなるんで。それはすごく刺激的だったし、役者の方々と過ごす毎日もすごく刺激的でした。あと、誰が書いているのかということが大きな違いで。いつもは自分で書いた言葉を自分で伝えているんですけど、演技となると、脚本家、演出、監督、プロデューサーの方がいらっしゃる。ミセスでは自分が一つのピースとして動くのではなく主導する立場なので、演技の世界では一つのピースとして動くことがめちゃくちゃ快感でした。

──快感だった?

僕、歯医者とか美容院とか整体とか好きなんですよ。それに近いものを感じました。こういうふうにしたいって、誰かが言ってくれる。それは普段はないことなんで、めちゃくちゃ楽しかったです。

──演じるということは、鈴木というキャラクターとその価値観が自分の中に入ってくるわけですよね。それによって自分がどういう人なのかというのを知るきっかけになったということですが、これはどういうことなんでしょうか。

鈴木という役柄自体、脚本と映画チームからの説明をいただいた段階で、そもそもすごくシンパシーがあったキャラクターなんです。だから「やっぱり自分も憎んでる人がいるな」とか「それでも愛したい何かがあるな」とか「今までもそのことをずっと綴ってきたな」とか、振り返る機会になったんです。「こういうことを言ってきていたな」とか「同じ感情もあるな」とか、一人の人間として回帰した感じはありますね。

──主題歌を書くことにあたって、演じてから書くというのは初めてだったと思いますが、これはどうでしたか?

すごく難しかったですね。鈴木という役を演じていたからこそ書きやすかった、というわけではなかったです。主題歌にはいろんな役割があると思うんです。多くの人にリーチするきっかけになるべきだし、映画の追体験にもなるべきだし、かといって映画に寄り添いすぎて親和性があり過ぎると逆に化学反応がなくなってしまう。これまでも「この映画のためだけに」という考えでなく、常に共通項を探して、あくまで自分ごととして書くのを大事にしてきたので。でも、今回の映画に関しては、僕は当事者だし、自分の主観で映画の中に存在しているわけで。だから、主題歌を書く上では、役者として鈴木と向き合っていたこととは全然違う角度で考えました。

■メディア関係者に仕掛けた「天国」“暗闇”試聴会の狙い

──我々取材陣は3月上旬頃に行われた試聴会で、タイトルもタイアップの情報もなしに曲を聴くことができました。その前提条件で聴いた時には映画との関連性は全く考えず、ただただ死者に対しての思い、愛情の裏側にある憎しみを描いた曲だと感じました。まっさらな状況で聴くことができたので、よりその純度を高く感じたという印象でした。

バランスを整える処方箋もないままに曲をくらった感じですよね。僕としては映画のカラーでバランスをとったつもりなんですけれど、曲だけ聴いたら、きっと心配になるような曲なんだろうなと思います。「この人は病んでるのかな?」とか「ミセスはどうしちゃったんだろう?」みたいに思われてもおかしくない曲だとは思うので。だから試聴会という機会を楽しみにしていました。

──この試聴会もおそらく大森さん発案のものだと思うんですが、これはどういうところから思いついたんですか?

先入観と固定概念がなるべくまっさらな状態で、曲が持つ純度、ミセスというものの“進化”と“深化”と“真価”を問いたかったというのはありますね。メディアの方々の言語化とアンテナには感謝しているので、どんなレビューなんだろう、どういうふうに思ってもらえるんだろうとか、自分がやってることは正しいのかというのも含めてのプランだった気がします。

──僕はこの曲を聴いたしばらく後に映画の主題歌ということを知ったので、全く違う感想が出てきたんです。つまり、最初に「天国」という曲が持つある種のエグさを味わっている。その後に映画の主題歌だということを知った。先ほど大森さんがおっしゃったように、主題歌は映画の紹介の役割を担う曲でもある。そして『#真相をお話しします』は「前代未聞の暴露ゴシップ系エンターテインメント」というキャッチコピーの映画である。率直に言って、そのキャッチコピーと共に流れてしっくりくるタイプの曲ではないと思ったんですね。

その通りですね。

──でも、これは大森さんがあえてそうすることを選んだんだと思ったんです。もっと深いところにあるこの映画のテーマと呼応して生まれた感覚、世に問いたいことを描くという考えがあったのではないかと。そのあたりはどうでしょうか。

そうだと思います。誤解を恐れずに言うと、Mrs. GREEN APPLEの大森元貴が主演をやっているというのは、曲をずっと深く愛してくださっている方はすごく理解があると思うんですけど、やっぱり世間の人たちからすると「流行りの人が演技を始めたよね」ということになるのは重々承知なので。でも、映画としてより多くの人に届けたい。その間口の広さと同時に、それをなぜやったかという意味と意義を果たさなきゃいけない。せっかく主題歌を担当できるんだったら、じゃあ大いにそれを楽しませてもらおうと思ったんです。やっぱり、映画の主題歌ということは曲が持っている印象をものすごく左右するし。この映画って、ものすごいことを投げかけているんだけど、同時にポップコーンムービーみたいな側面も兼ね備えていて。その2つの両立が僕の主題歌としての課題だったんですよ。

──というと?

気軽に来て見てみたらとんでもないものを見てしまったというか…なんでもいいんですよ。楽しかったね、面白かったね、怖かったね、なんかよく分かんなかったね、とか。その感想自体が全部あの映画を表しているコメントなので、それを全部巻き込んだら面白いんじゃないかみたいなことで。

──映画は、最後で観ている人が心をえぐられるような終わり方になっていて。主題歌がその後に流れることによってさらに深くえぐられるような仕掛けになっていると思いました。

そうですね。全部の体験がこの映画に詰まっているようにしたいなと思ったんです。楽しくて、面白くて、スリリングで、でも同時に見苦しさもある映画なので。ずっとマトリョーシカ状態でもあるという。エンタメに一石投じているようで、それがエンタメである。そういうマトリョーシカがずっと続く映画だと思います。僕としては、あの映画は人の愚かさを描いていると思っていて。誰しもが罪を背負っているし、罪の意識がある。みんな贖罪によって生かされている。そういうことが僕はテーマだと勝手に思っていて。それがたまたまこの時代においてはSNSと切っても切り離せなかった。というのが僕の映画に対する所感なんです。その間口の広さを最大限に利用したものすごい奥行きを作るんだったら、やっぱりこういう曲じゃなきゃダメだろうという感覚でした。

■フェーズ2での気持ちの変化「最大限のエネルギーを放出すればいい」

──「天国」はぷつりと糸が切れるような曲の終わり方も印象的でした。

あれは僕が純粋に作曲していて飽きたというのが大きくて。そういうもんだよなと思ったんですよ。人は幸せと不幸せ、希望と諦観を常に交互に感じているもので。きれいな景色で、鳥もさえずっていて、やっと天国に辿り着いたと多幸感に包まれて、やっと幸せになったと思ったら、飽きるという。「飽きたな」と思った瞬間に「できた」と思ったんですよね。解決しないという曲の終わり方が、楽曲としても映画としてもすごく必要な終わり方だった気がしたんです。あの終わらせ方はデモから存在していたので、藤澤(涼架)とはそこのニュアンスを本当に細かくすり合わせました。

──曲が仕上がって、完成した映画を観ての、藤澤さん、若井(滉斗)さんの感想はどうでしたか?

藤澤は試写で見て「自分のピアノに感動したのは初めてだ」って言ってました。若井はよくも悪くも驚いてはなかったですね。ただ、若井は最初に「こういう話が来たんだよね」って言った時に、一番強く背中を押してくれたんです。「やるべきだし、やると思ってたよ」って。Mrs. GREEN APPLEを組んでからじゃなくて、中学の頃からやると思ってたって。

──「天国」について、もう少し深く聞かせてください。これは映画のモチーフから書いた曲ではありますが、先ほどおっしゃったように当然ミセスの曲であり、大森さん自身の考えや価値観が反映された曲でもあると思うんです。その上で、この曲にある「許せない」という思いや憎しみについて、これはどうして生まれたものなんでしょうか?

具体的に何が許せないとか誰を憎んでいるとかそういうことじゃなく、なぜそういうことを表現しようと思ったのか。 これは年齢的なものもあると思います。この感覚ってフェーズ1の時にはそんなになくて。20代後半になって、18歳でデビューした少年とはまた違った価値観でフェーズ2の活動をできるようになった。全てが自分のアウトプットに繋がっていることに嘆いていたのがフェーズ1だったんですけど、それを全部ひっくるめて自分が最大限のエネルギーを放出すればいいんじゃないかと思って楽しみ出したのがフェーズ2だと、僕は思っていて。だから、些細なことですね。ムカつくことも、やるせないことも、自分がどれだけ愛情を注いでも解決しないものも、ずっと破綻しているようなものもある。今回は主題歌ということも含めて、いろんなバランスによってこのタイミングでそのことを書けたんですよね。

──主題歌の発表に際しては「『天国』というタイトルの楽曲を僕はもっともっと先の未来で描くと思っていました」というコメントもありましたが、これはどういうことなんですか?

「天国」というタイトルの曲をリリースするべきだと、漠然と思っていただけですね。こういうことはよくあるんです。「ライラック」も昔からタイトルだけの構想があった。「天国」も、もっと先のタイミングで僕が思う天国を書こうと思っていたんです。それがこのタイミングで書けたという。

──このタイミングというのは?

前は自分の才能に対して悶々としてた時期があったんですけれど、今は多くの人に見てもらえる機会が増えて。どうやって枯渇せず、飲み込まれることなく、こなすのではなく自分がハンドルを常に握って表現を続けられるかというのが今の僕の課題だと思っていて。それを叶えていくためにこういう楽曲が必要だったと思います。と同時に、大きなエンタメを作るにはより高いドキュメンタリー性が必要だと思っているので。間口の広さと奥行きを両立するというのは常に考えていますね。NHK紅白歌合戦に出場する裏で「The White Lounge」というツアーを回ったこともそうですけれど、それに近いというか。このタイミングで「天国」という曲を出すのはミセスにとって大事だろう、という感じですね。

──「クスシキ」のミュージックビデオで派手にバトルして、「breakfast」が情報番組のテーマソングとして朝を爽やかに彩って、そして「天国」がある。そういうタイミングも意識しましたか。

そういうことですね。その3曲が続くのは分かっていたので、だったらこういう曲を書けるだろうという。後に出る「breakfast」とか先に出る「クスシキ」ありきというバランスも絶妙なピースだったんだと思います。

──「天国」は死生観を歌った曲だと思います。過去にも「Soranji」や「Part of me」、大森元貴ソロの「メメント・モリ」など、死生観について歌った曲はキャリアの中で大事なものとしてあると思うんですが、改めてこの曲でそのテーマにどう向き合ったと言えますか。

この曲、僕は希望とか前に向かう力みたいなものって、楽曲から誘導するものとしてはゼロだと思ってて。「Soranji」には希望を信じることとか、生きることを諦めないこととか、前に進んでいく力があったんですけど、天国って“無”なんですよね。虚無というか。前に進む力も後ろに倒れる力もない。何かが抜け落ちちゃってる楽曲だと思うんです。だから、もちろん死生観は今までにもたくさん歌っていますけど、この曲は死生観を歌おうと思って作った曲ではなくて。やるせなさと、それを紛らわせて生きていくこと。死というものは生きている人にものすごくエネルギーを与えるけれど、そういうものがない曲を作ろうみたいな感じでしたね。ごまかしが効かないというか、佇んでいるだけの曲というか。「あれって何か意味あったんだっけ?」みたいに立ち返っちゃう瞬間を切り取った。ただただ時間が流れていく、海を流れていったりするような感覚の曲だなという感じです。だから書き終わった後に「ああ、結局死生観についての曲になった」という感覚でしたね。

──たしかに「Soranji」とは対照的で、でも、こういう曲がある種の救いになる人もたくさんいると思います。

そう思います。「ミセスって明るくてエネルギッシュなバンドでしょ?」っていうイメージを抱かれるし、事実そうなんですよ。でも底抜けに明るいだけじゃなくて、同時に虚無を持っている。それがないと絶対できないことなので。その対極性みたいなものを表現するべきだと思ったんでしょうね。

──これは「天国」とは違う曲についての質問なんですが、僕はここ最近のミセスの曲で、同じ言葉がいろんな曲に使われていると思うんです。それが「ごめんね」という言葉で。「クスシキ」や「コロンブス」、「こたえあわせ」にも「ごめんね」という歌詞がある。

たしかに。

──これって大森さん自身はどんなふうに捉えていますか?

「ごめんね」って、だんだん言えなくなる。それだけなんです。「好き」とか「ありがとう」とか「ごめんね」とかって、長く生きているとだんだん意味が出てくるじゃないですか。その意味を背負い出したのがフェーズ2なのかな。僕としては「こたえあわせ」がそういう僕のピュアな部分が一番詰まっている楽曲で。Aメロにも「ありがとう」って言葉が出てくるし、サビに「ごめんね」という言葉が出てくる。自分の心情の変化とかグループとしての変化とか、いろんなことを含めて感じていることですね。忘れないようにしようという備忘録的なものでもあるかもしれないし、書き綴っていくことに意味があると思って書いていると思うし。あとは「天国」についても「贖罪」という話をしましたけど、最近は「贖罪」というのが自分の中で大きなテーマである気がしますね。どうしてもやるせないことがあったりするし、でも今日を生きていかなきゃいけない。でも決して病んでいるとかではなく、自分の中には前に進むとてつもないパワーもあるし、ミセスはそういうものを持っている。その根源って「ありがとう」とか「ごめんね」とか「好き」とかに詰まっているので。歳を重ねて、こういう生活がずっと続くと感覚も分からなくなってくるので、常に立ち返れる何かを自分はずっと贖罪のように綴り続けているという感覚かもしれない。

──今おっしゃった「贖罪」の感覚は「クスシキ」や「こたえあわせ」と「天国」をつないでいるテーマなのかもしれないと思いました。

そうだと思います。やっぱり誰しも、時間が経つとこじれていくものだし、擦れていくものじゃないですか。それに抗っているエネルギーはフェーズ1からずっとあったんですけど、盾突いているだけじゃ何も始まらない。そういうものを受け入れて、どうやって噛み砕いて自分の血肉にして昇華していくかということを考え始めたタイミングなんだと思いますね。

■“ジャンル”という概念が「ものすごい壁になっている」

──10周年というテーマについても聞かせてください。ただ単に10周年を迎えたというだけではなく、今、Mrs. GREEN APPLEはすごく大きな存在になっていると思います。ただ単にヒットしているというだけでなく、大森さんが言う間口の広さと奥行きの深さを併せ持つ形で世に広まっている。フェーズ2に入って言ってきたことがかなり実現したと思うんですが、どんな手応えがありますか?

純粋にめちゃめちゃ嬉しくて楽しいです。こんなにやりがいのあることはないし、非常に光栄です。と同時に「夢って叶っていいんだっけ?」みたいな感じもしますね。構想も言ってることも昔から変わってないので。昔は「なんで伝わらないんだろう?」とか「どうやったらいいんだろう?」とか、身内も含めてフラストレーションがあったんです。でも、自分の言葉を伝えるにはどうしたらいいかを考えられるようになってきた。それが俗に言う“上手くいっている”状態だと思うんです。でも、恐ろしいですけどね。「こんなことあっていいのかな?」みたいなことも思いますよ。チャートとか見て引きますもん。これは日本の音楽業界的にあっちゃならないことだと思っているんで。別に何かに疲弊したりすり減らしたりしている感覚はなくて、ただそれを楽しませてもらってる、精一杯やらせてもらってるだけなんですけど、「大丈夫、これ?」みたいなことも思います。それは率直な感覚です。

──では、今、あえてミセスのライバルを世の中に見出すならば、どういうものだと思います?特定の誰かというよりはもっと大きなもの、たとえば何かの概念とかでもかまわないので、どうでしょうか。

ミセスのライバルは「ジャンル」という概念じゃないかと思います。「ジャンル」という言葉がものすごい壁になっていると感じていて。バンドであることだったり、アイドルだったり、そこの壁が日本ではすごくハッキリしている。それによって作られた文化もあるし、誇るべきことだと思うんだけど、同時にそのことで生まれる風習もある。そういうルールとか固定概念みたいなものが自分のライバルかもしれないですね。他のアーティストさんへのライバル心というのは、偉そうな話じゃなく、全くないんです。僕らは僕らでやるべきことをやっているだけなんで、競争するようなものではないと思っている。だから「Mrs. GREEN APPLE presents 『CEREMONY』」というイベントを立ち上げたりもしましたけど。

──「Mrs. GREEN APPLE presents 『CEREMONY』」のラインナップを見ても、ジャンルの壁を壊しているというのは本当に思います。さらに東京ディズニーリゾートとのコラボが決まるなど、誰もやったことのないタイプの活動ですよね。

バンドというところで言うと本当に前例がないので。誰をロールモデルにするとか、何をガイドラインにするっていうのが我々も立てづらくて。常に学びながらやってるんですけど、そういうことが課題だなっていうのは日頃から思っていますね。

──でも、だからこそメンバー3人がきちんとスキルを持って一体になっているということが大事でもある。

おっしゃる通りで、その感覚が常に僕らがバンドであるっていう証明なんですよね。その話もずっとします。「俺らの生業ってなんだっけ?」とか。いまだに彼らは楽器を弾くことに対して緊張感と恐怖心があるんですよ。これが自分らのやるべきことであって、この軸足がぶれたり、ここで浮き足だったりしたら全部が終わる。ありがたいことに2人は楽曲に対して誠実であるべきって本当に思ってくれているので。いろんなことをやればやるだけ、バンドであるという自覚を強く持つようになる。それは不思議ですね。

──わかりました。では最後に聞かせてください。7月には野外ライブ『MGA MAGICAL 10 YEARS ANNIVERSARY LIVE ~FJORD~』が開催されます。これはどんな場にしたいと思っていますか?

これはアニバーサリーのライブなので。僕今かなりいろんなこと話させてもらいましたけども、こんなことを当たり前に話させてもらえるのって、やっぱり応援してくれる人たちがいるからこそなんですよ。僕がやりたいと思っていることを叶えられるチーム、そこに誠実なメンバーたちがいてくれるのって、やっぱり観てくれる人たちがいないと始まらないんで。ただただ純粋にそういう人たちに感謝しているし、楽しんでもらえるといいなと思っています。とにかくその日に最大限伝えられる愛情を届けたいという感覚です。
(取材・文/柴那典)


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