「河村市政まるごと継承」広沢一郎氏が初当選 名古屋市長選の明と暗

2024/11/25 05:00 

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 河村たかし前名古屋市長の15年余の市政運営の評価を最大の争点に、過去最多の7人が立候補した同市長選は24日、河村氏の後継指名を受けた元副市長、広沢一郎氏(60)=日本保守推薦=が、既存政党が相乗り支援した元参院議員の大塚耕平氏(65)=自民、立憲民主、国民民主、公明推薦、政治団体「緑の党・東海」共同代表、尾形慶子氏(67)=共産推薦=ら6新人を退け、初当選を果たした。河村市政の継承に意欲を示す広沢氏だが、河村氏と対立を続けてきた市議会とどう向き合うのか、手腕が問われる。

 ◇広沢一郎氏

 当選確実の一報を受けた広沢氏は名古屋市東区の事務所で、二人三脚で選挙戦を戦った河村氏と喜びを分かち合った。その後、事務所の外に出て、河村氏の市長時代から恒例となっている当選後にバケツの水を頭からかぶるパフォーマンスを披露した。

 テレビで減税を巡って市議会と対立する河村氏を見たのをきっかけに2010年、東京から地元名古屋に戻り、地域政党「減税日本」の活動に加わってから約14年。この間、県議や副市長を務めたが、22年の参院選では辛酸をなめた。

 10月の衆院選で圧勝し、15年ぶりの国政復帰を果たした河村氏の余勢を駆って挑んだ今回の市長選では、河村氏が共同代表を務める日本保守党と減税日本の推薦を受け、「河村市政をまるごと継承する」とアピール。市民税減税▽市長報酬2800万円から800万円への減額▽名古屋城天守閣の木造化完遂――などを訴えた。

 市議会の与野党会派や大村秀章・愛知県知事らの支援を受けた大塚氏に比べ知名度が低く、河村氏の支持基盤が頼りだったが、河村氏と一緒に街頭演説を行い、SNS(ネット交流サービス)を駆使した発信力で支持は徐々に広がった。

 ◇大塚耕平氏「敗因は私の力不足」

 大塚氏の支持者が集まった名古屋市東区の事務所では、広沢氏の「当選確実」の報にため息が漏れた。姿を見せた大塚氏は「一番の敗因は私の力不足。多くの皆さんにご支援いただいたことには心から感謝したい」と頭を下げた。

 昨年6月、国民民主党の代表代行兼政調会長だった大塚氏はいち早く出馬を表明。選挙戦では自民、立憲民主、国民民主、公明の推薦を受け、「名古屋市をアップデート」「対立から対話へ」をキャッチフレーズに河村市政の刷新を訴えた。

 河村氏が進めてきた市民税減税の効果を疑問視し、「議会や市民の意見を聞く」と見直しに含みを持たせた。

 当初は政党色をあえて出さず、無党派層を中心に幅広い支持を求める戦略を立て、河村市政の課題を丁寧に説明したが「政策が分かりにくい」との指摘で方針を転換。給食費、敬老パス負担金、がん検診代の3項目を無償とする「三つのゼロ」を掲げ、街頭演説や選挙ポスター、チラシでアピールした。

 広沢氏の優勢が伝えられた中盤以降は、政党や各種団体をフル動員し、国民民主の玉木雄一郎代表ら党幹部も応援に駆けつけたが、広沢氏の勢いを止められなかった。

 ◇尾形慶子氏「『金持ち減税』を伝えられず」

 広沢氏の当選確実の一報を受け、名古屋市熱田区の事務所に姿を見せた尾形氏は「『金持ちまやかし減税』を十分に伝えられなかったことは悔しいが、ぶれずに議論できたのは皆さんのおかげ。今後も一緒に活動を続けたい」と述べ、支援者らに深々と頭を下げた。

 尾形氏は、河村前市長が衆院選出馬を明言した10日後に市長選への立候補を表明した。選挙戦では、河村市政による市民税減税を「金持ち減税」と猛批判。「市民の半分は減税額ゼロ」と記したパネルを掲げて自ら有権者に説明するなどし、減税によって本来受けられる必要な行政サービスが削られてきたと強調した。

 名古屋城天守閣についても、「戦後復興のシンボル」であることから木造復元化を中止し、耐震改修すべきだと主張した。

 唯一の女性候補として「女性の力で変える」「名古屋初の女性市長を」と訴え、子育て中の母親や保育士ら多くの女性が応援に駆けつけた。「TikTok(ティックトック)」などのSNSも積極的に活用し、ほぼ毎晩のようにライブ配信を行って視聴する有権者らと交流。人柄や政策を身近に感じてもらいながら広く支持を呼びかけたが、及ばなかった。【真貝恒平、大原翔、加藤沙波】

 ◇温厚な人柄、SNS駆使が原動力に

 河村市政の継承を訴えた広沢氏が、名古屋市の新しいリーダーに選ばれた。

 序盤は知名度が低く、河村氏の「コピー」「傀儡(かいらい)」と揶揄(やゆ)されることもあったが、温厚な人柄で愚直に政策を訴える姿勢が有権者の心をつかんだ。SNSを駆使した空中戦も支持を広げる大きな原動力になった。

 一方、市議会の与党会派や大村愛知県知事らの支援を受けた大塚氏は、強力な組織力を生かせず、支持は広がらなかった。

 広沢、河村両氏が用いた「減税か増税か」といった物事を単純・明確化して訴える手法に対し、大塚氏は当初、河村市政の課題を丁寧に説明してきたが、途中で演説内容を変えるなど方針転換した。焦りもあったとみられるが、河村市政の「刷新」をアピールしながら、最後まで河村市政を真っ向から批判せず、その曖昧さが市民の心に響かなかった。

 今回の選挙では、広沢氏が所属する日本保守党の政策を巡り、演説会場ではヤジが飛び交い、SNS上で候補者の主張とは異なる情報が拡散されるなどした。

 広沢氏はこうした「分断」や市議会との対立関係に対し、どう向き合っていくのか。自身が言う「品の良い河村たかし」を脱却し、持ち前の笑顔を武器にした「広沢カラー」を出しながら、解決の糸口を探ってほしい。【真貝恒平】

毎日新聞

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