姿消す遊郭建築 性売買公認、忘れぬため 注目集まる奈良・旧川本楼

2025/01/12 14:00 

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 約100年前、「昭和」に入った頃に建てられたとみられる遊郭建築(奈良県大和郡山市東岡町)が2024年に姿を消した。木造3階建ての大型建物は、遊郭だった地域のかつての隆盛を伝えるシンボル的な存在だったが、長く放置され倒壊の危険性が高まり、市が行政代執行で解体した。

 市内のもう一つの遊郭だった洞泉寺町では20年、独特の景観を形成していた棟続きの3棟が解体され、23年にも1棟が消えた。

 人身売買で売られた女性が「性」を売ることを国家が公認した歴史を伝える遊郭。建物が次々と姿を消す中、洞泉寺町に残る旧川本楼(木造3階建て、1924年建築)の存在価値が高まっている。

 人気漫画「鬼滅の刃」の舞台にもなった明治期以降の遊郭は、男性が女性の「性」を買う「性買売」を公権力が認めた空間だ。県内には奈良市と大和郡山市に2カ所ずつあった。奈良市では木辻遊郭跡で22年、元旅館が解体され、歴史を伝える建物は残っていない。

 性買売の場は「貸座敷」、性を売る女性は「娼妓(しょうぎ)」と呼ばれた。公認地の娼妓は「公娼」で、非合法地域の「私娼」と区別した。貸座敷の建物は「妓楼(ぎろう)」と呼ぶ。遊郭は本来、貸座敷設置が認められた区域を指すが、一般的に妓楼の意味でも使われる。

 1945(昭和20)年の終戦前、県内4カ所で多い時に貸座敷数は80を超え、800人近い公娼がいた。性を買う男性(遊客)は年50万人に達した。遊郭は戦後も売春防止法完全施行の58(昭和33)年まで、特殊飲食店街(赤線)として存続した。

 旧川本楼は廃業後、下宿、住宅として利用された。解体危機にあった99年、大和郡山市が約8700万円で取得。耐震改修を経て「町家物語館(旧川本家住宅)」として一般公開が始まったのは2018年1月だった。

 市はシルバー人材センターに施設の管理を委託。ボランティアガイドが「全国に残る遊郭建築で、当時のままの姿を伝えるのはここだけ」などと案内するが、展示は決して十分とはいえない。

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 「建物だけでなく、歴史資料が一緒に残されているのが全国的に極めて珍しい」。近畿大の人見佐知子教授(日本近代女性史)はこう話す。市は建物と共に川本楼の資料も取得した。娼妓の名前、本籍、生年月日、借金額、紹介者などを記した「娼妓名簿」をはじめ、廃業時の精算状況などを記した精算書、娼妓稼高明細書、遊客名簿など経営や娼妓の実態を知る資料だ。

 人見教授は資料を分析し、もうけの構造の一端を明らかにした。一例を挙げると、1937(昭和12)年に1500円を前借りして19歳で娼妓になった女性は、5年の年期中に前借金の10倍近い1万4000円近くを売り上げ、約9割が店の収益になった。

 遊郭を観光資源として活用する例は全国で増えている。しかし、花街としての伝統文化の継承がクローズアップされ、「性買売」は隠されがちだ。「町家物語館」の名称に似た意図を感じられるが、人見教授は「ここは(性買売の)事実自体は認めていて、全国的に珍しい」と言う。

 残された資料については「人身売買された女性、もうけのからくりなど経営の実態を具体的に復元できるという点で、とても貴重」と評価。「遊郭で人権侵害があった認識は多くの人にある。川本楼はその具体像を建物と資料とセットで理解できる可能性を持った稀有(けう)な存在」とみる。

 過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる――。旧西ドイツ・ワイツゼッカー大統領の有名な言葉がある。女性の人権の歴史や性差(ジェンダー)を学ぶ絶好の場となる可能性を秘めた旧川本楼。SNSで情報が世界に発信される時代、「昭和」と共に歩んだ建物を今後どう生かすか、注目される。【熊谷仁志】

毎日新聞

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