津波警報で渋滞、なぜ車で避難するのか 本音とリスク、行政の対策は

2025/08/16 10:30 

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 ロシア・カムチャツカ半島付近で7月30日に発生した巨大地震は、沿岸部が抱える「自動車避難」の課題を改めて浮き彫りにした。津波注意報・警報の発表後、多くの人が車で高台を目指し、一部で渋滞が発生。東日本大震災の教訓から国や自治体は「原則徒歩避難」を掲げるが、地方では車移動が日常で「徒歩避難は非現実的」との声は根強い。専門家は「このままでは震災の二の舞いになる」と警鐘を鳴らす。

 ◇警報30分後には大渋滞

 7月30日朝、防災無線とスマートフォンのアラームが鳴り響き、太平洋沿岸部に緊張が走った。気象庁は午前8時37分に津波注意報を発表し、約1時間後に警報に切り替えた。宮城県石巻市中心部では、高台の日和山公園(日和山)を目指す車が数百メートル以上にわたり列をなし、たちまち渋滞が生じた。

 いち早く日和山に向かい、避難者の受け入れを手伝った震災伝承団体「3・11メモリアルネットワーク」専務理事の中川政治さん(49)は「警報に切り替わってから道路が一気に混み始め、午前10時には大渋滞になっていた」と振り返る。

 太平洋を広く見渡せる日和山は、多くの市民が目指す高台だ。約14年半前の震災時も周辺で大渋滞が発生し、低地では避難中の車などが津波にのまれて多くの犠牲者が出た。だが震災後も、津波注意報のたび渋滞が繰り返されてきた。

 震災の教訓がありながらなぜ車で逃げる人が絶えないのか。

 中川さんは「離れた地区から来た人が多かった印象だ。遠地で発生した地震で津波の到達予想まで時間があったため、離れた場所からも車を使ってより安全な日和山に避難しようとした人たちがいたのではないか」と指摘する。また、震災で津波を逃れた後に屋外で寒さに耐え、生活再建の過程で車がなくて苦労した体験を被災者から多く聞いたといい「命をつなぐ財産として、『車も守りたい』という心理が働くのではないか」と話す。

 石巻市も注意報や警報のたびに渋滞が起きることを認識しているが、改善に至っていない。市は今回、市街地に避難指示を出さなかった。津波の予想高さが1~3メートルの津波警報では震災後に整備した防潮堤や堤防を越さないと判断したためだ。

 斎藤正美市長は8月4日の定例記者会見で、2022年の津波注意報発表時に大渋滞が起きた渡波(わたのは)地区の避難道に警察官を配置してもらい、交通誘導で混雑を回避した例を挙げ「(日和山などでも)警察と緊密に連携し渋滞を緩和したい。原則徒歩避難は変わらない」と強調した。日和山周辺では、石巻中学校など避難者の車を自主的に受け入れた施設がある一方、受け入れなかった公的施設もあり、対応が分かれた。市の小菅弘勇危機管理監は「地区防災計画の策定を進める中で地域の車避難のルールを決めていきたい」と話した。

 震災時、長女愛梨ちゃん(当時6歳)を亡くした石巻市の佐藤美香さん(50)は日和山での渋滞発生に心を痛める。幼稚園児だった愛梨ちゃんは日和山の高台にあった園にいれば助かったが、送迎バスに乗せられ、再び園に戻る途中で渋滞に遭い、津波と火災に巻き込まれた。

 美香さんは「車で逃げたい気持ちはよく分かるが、渋滞すれば自らの命が危険にさらされ、同時に、車でなければ逃げられない人の命が奪われる可能性がある。みんなで助かるために、必要な人のために道をあけることも考えて」と訴える。

 ◇車避難、事前に認める自治体も

 車避難を選択する人が絶えない現実を前に、多くの自治体が対策に乗り出している。高齢者や足の不自由な人だけでなく、高台や津波浸水想定区域外への避難に時間がかかる地区の住民にも事前に車避難を認める自治体が増えてきた。

 宮城県亘理町では、津波到達時間と徒歩移動の時間をシミュレーションした上で、車避難が困難な地区は車避難を認め、検証結果を含めて津波避難計画に盛り込んだ。

 亘理町は今回の津波警報発表時、1998世帯4848人に避難指示を出した。車避難が認められている浜吉田西区区長の浅川文義さん(75)もすぐに車で避難所の小学校に向かったといい「事前に決められており安心感があった」と語る。

 ただ、車避難が可能だったにもかかわらず、声かけした高齢者の中には「家に残る」と答えた人もいた。徒歩避難の地区も含め、ほぼ全員が車避難だったといい、「人口が少ないとはいえ、避難行動が遅れれば混雑する恐れもあり、いかに早く動き出せるかが課題」と話す。町総務課の担当者は「実際はほとんどの人が車で逃げることを前提に備えなければならない」。浸水想定区域外の町有地に多数の車が駐車できる「防災広場」を作ったが、さらなる確保を検討している。

 今回の警報で一部渋滞した岩手県大船渡市では、渋滞が発生しないことを条件に「自動車避難可能地域」を導入する方針を決め、同県陸前高田市もコンピューターで徒歩と車避難を組み合わせたシミュレーションをし、リスクの検証を進める。ただ、人口の多い自治体ほど車避難のリスク検証が難しく、対策が進んでいない現状がある。【百武信幸】

 ◇東北大の佐藤翔輔准教授(災害情報学)の話

 今回の経験を機に、車避難のあり方を本格的に議論をしなければ渋滞で被害が拡大し、東日本大震災の二の舞いになる。繰り返さないためには、(要援護者へのサポートを事前に定める)個別避難計画の作成や、自動車避難を検討した地域防災計画の見直しを急ぐ必要がある。

 車避難で最も重要なのは「住民の理解と納得」だ。行政は、車避難の許可を対象地区の住民に伝えるだけでなく、対象外の地区にも、車の使用が全体にもたらす影響を共有する必要がある。リスクを含めて周知し、住民に納得してもらった上で地域避難計画に反映することが求められる。

 日和山のように渋滞する高台や内陸の場所では、地元の住民に誘導などで協力をしてもらう必要があり、行政があらかじめ調整しておくべきだ。震災で学んだ教訓は自分の行動がもたらす「他者への影響」だ。住民は自分だけでなく、全体の安全も考えて行動できるよう、複数の避難経路を持つなど備えてほしい。

毎日新聞

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