「最後の特攻隊員」の足跡たどり 著書出版した女性の願い

2025/10/19 07:45 

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 自宅居間の机の上、両手をいっぱいに広げたほどの範囲にファイルが並ぶ。中身は戦争体験者と交わした手紙やはがきなどの資料だ。

 「はがきだけでも100通は超えている。若かったからできたんですね」。約20年前の自分をねぎらうように、福島県いわき市の主婦、道脇紗知さん(46)は目を細めた。

 昭和天皇がラジオで敗戦を告げた「玉音放送」の後に出撃した特攻隊がある。その「最後の特攻隊」の一員に曾祖父の弟、大木正夫さんがいることを約20年前に知り、彼の足跡をたどった著書「8月15日の特攻隊員」を2007年に出版した。

 大木さんは1924年生まれ。市内の工場で働いた後、41年に海軍飛行予科練習生(予科練)となった。海軍の飛行兵となり硫黄島の激戦にも出撃した。やがて軍が特攻作戦を実行する中、45年8月15日正午の玉音放送を迎えた。

 だが、その日の夕方、大木さんの部隊の23人は艦上爆撃機「彗星(すいせい)」11機で大分海軍航空隊の基地から沖縄に出撃。うち3機は不時着、大木さんの乗った機を含む8機は帰還せず消息不明となった。21歳だった。

 ◇きっかけは祖父の死

 道脇さんの調査のきっかけは、04年の祖父の死だった。戦争体験を聞けなかった後悔から、祖父の足跡を改めて追ううち大木さんの存在を知った。資料をたどり、仕事の合間を縫って北海道から沖縄まで面識のありそうな関係者を探し、貴重な話を一つ一つ拾っていった。

 入隊3日目、野球のバットに似た棒で尻をたたかれるしごきを受けたこと。特攻の出撃命令を受け、夜中布団の中で「おふくろ」とむせび泣く隊員。予科練生活を体験した数々の証言から、生前の大木さんの姿を膨らませていった。

 調査の中で、最後の特攻に飛び立つ直前の隊員4人の写真を見つけた。その中の1人が大木さんだと知り衝撃を受けた。皆、晴れやかな笑顔を見せていたからだ。

 著書では「どこにも躊躇(ちゅうちょ)や戸惑い、恐怖といった感情を、私は見出すことができずにいたのだった」と記している。

 不時着した生存者の1人は、大分にいた部隊には終戦の情報がはっきり伝えられていなかったという。午後4時過ぎ、司令長官だった宇垣纏(まとめ)中将が現れ「今から沖縄の米艦隊に最後の殴り込みをかける。一億総決起の模範として死のう」と言うと、大木さんら部下たちは威勢よく飛び立ったという。

 宇垣中将はなぜ、若者を道連れにしたのか。明確な答えは見つからなかった。ただ、特攻隊員の心情については著書で「そこには、彼らが生きた時代があり、そして搭乗員らの国や懐かしい故郷、家族や大切な人を守ろうとする想(おも)いがあった」と記した。

 ◇永遠に答えは出ないからこそ

 この思いは今も変わらない。特攻を「無駄な死」と言う人もいるが、「外地ではさんざん血を流して戦い、本土は空襲でやられている。自分たちは期待を背負っているのに何もできていない。そんな状況で『行くぞ』と言われたら、本望だと思って飛んでいったはず。そんな彼らの死を『無駄な死』とは言えない」と思いをはせる。

 大木さんが最後に飛び立った時の気持ちは「永遠に答えは出ないでしょう。だからこそ、考え続けることが大切だと思う」。

 著書では、大木さんが工場に勤めていた頃に出会い、思いを寄せていた女性との交流も描いた。大木さんはその女性の写真をいつも帽子に忍ばせていたという。女性は昨年亡くなったが、生前、直接会って手紙のやりとりもした。道脇さんは「純情な方。大木も短い人生の中、青春の1ページがあってよかった」と振り返る。

 出版後の反響はさまざまだった。「若いのによく調べた」と褒められた一方、「戦争のことを何も知らないで書いている」との批判も受けた。それでも、取材を通して仲良くなった戦争体験者から「本当にいいものは後になって評価される」と励まされ、救われた。

 ◇語られなくなった戦争、危機感抱き

 出版後に結婚して2人の子に恵まれ、2020年に古里のいわき市に戻った。その間に著書は絶版となったが、戦争が語られなくなっていることに危機感を感じ、出版社に掛け合って昨年、文庫化が実現した。

 ただ、「当事者たちの多くが鬼籍に入ったこともあり、特に反響はなかった」と浮かない表情を見せる。それだけに「今こそ伝えておかないと」の思いがわいてきた。子育ても一段落した。卓上のファイルの山は、長く押し入れにしまっていたのを、2年ほど前に取り出したものだ。再び資料集めも始めた。

 「現在を生きる私たちは、終戦の日を復興へのスタートの日と認識しがちだが、8月15日にぴたりと戦争が終わったわけではないはず。当時の人々の暮らしの底に流れていた風潮や思想をとらえたい」という。既に亡くなった体験者から「あんたに話したじゃないか。何のために話したんだ」と言われている気もしている。

 「伝言」は確かに受け取った。先祖をたどる旅の第2章が始まろうとしている。【柿沼秀行】

毎日新聞

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