「最後のご奉公」で駐中国大使、関係改善へ尽力 丹羽宇一郎さん死去

2026/01/08 20:45 

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 2025年12月24日に亡くなった丹羽宇一郎さんは、不良債権を抱えて窮地に陥った伊藤忠商事のトップとして経営再建に取り組んだ。経営から身を引いた後は、人脈を買われて民間出身者として戦後初の駐中国大使を務め、両国関係が悪化する中で改善に向けて力を尽くした。

 1998年に伊藤忠の社長に就くと、不動産価格の下落などで積み上がった不良資産の一括処理に踏み切り、00年3月期には882億円の最終(当期)赤字に陥った。だが、損失処理と同時にファミリーマートへの出資など攻めの施策も進めた結果、翌01年3月期は当時として過去最高の705億円の最終利益をたたき出し、V字回復を果たした。

 リストラに取り組む際は、神奈川県の郊外にある自宅から電車で東京都心の本社に通勤し、役員報酬を返上した。「70歳を過ぎたら一線から引退する」と公言し、会長を経て10年に相談役に退いた。ところがその年に当時の民主党政権から大使就任を請われ、「国への最後のご奉公」と覚悟を決めて大役を引き受けた。伊藤忠の社長・会長時代には、中国の飲料メーカーへの出資やファミマの中国進出を進めるなどして中国に人脈を築いており、日中間の経済発展に期待が集まった。

 しかし、12年に沖縄県・尖閣諸島を巡る問題で両国関係は悪化。同年までの在任中は、日中関係の修復に取り組んだ。15年に日中友好協会会長に就任してからも日中関係の発展に尽力した。

 22年10月の毎日新聞のインタビューでは「日本は中国と戦争しても何の意味もない。歴史のいきさつは確かにある。だから、できるだけ対話と交流が必要だ」。「日中が互いに豊かな国になれば、ぎくしゃくした関係にはならない。日本は中国に経済規模で抜かれたが、ものづくりの技術力がある。日本は今後20~30年かけてアジアと中国がさらに豊かになるために中心となって協力していかなければならない」などと語っていた。

毎日新聞

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