味覚障害という「生き地獄」 乗り越えた画家が “食”テーマに個展

2026/02/16 19:21 

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 大好きだったはずのお酒は、泥水のようにざらついた舌触りに変わった。

 だしのうまみも感じない。食事は、ただ物をかみ砕くだけの時間だった。

 「生き地獄」だったという味覚障害を克服した画家の男性が、食をテーマにした個展を東京・銀座のギャラリーで開催している。2月21日まで。

 ◇アートセラピーに救われたが……

 「いろいろな理由でしんどい時期にある人たちに、僕の経験や『ここまでできるようになった』という姿を知ってもらいたい」

 男性は、東京都調布市の中西宇仁(たかひと)さん(39)。主に油絵を描く画家である一方、知的障害者を対象にしたグループホームで生活支援員として働いている。

 人の心や気持ちなど、後世に残したいものを伝える「心像(しんぞう)画家」と称している。個展は今回で3回目。銀座では初開催となる。

 中西さんは専門学校を出てシステムエンジニアの職に就いたが、激務がたたり、20代半ばでうつ病を発症した。

 治療の過程でアートセラピーと出合った。心理療法の一種で、描画や造形などを用いるものだ。

 周囲から表現の仕方などを褒められ、セラピーの時間以外も色鉛筆やクレヨンを手にするようになった。

 退職や転職を繰り返し、ようやく社会復帰を果たすも、2020年の冬にうつ病が再発してしまう。

 「僕にとって、2度目のうつが一番つらい時期でした」

 ◇「ただ『ねちょねちょ』している物」

 トイレや入浴など生活に必要な動作一つ一つのハードルが高くなり、目が覚めた瞬間から将来への不安や焦燥感にさいなまれた。

 「自分でもよくわからない負の感情が渦巻いて、毎日『死んで楽になりたい』と思っていました」

 中でも特につらかったのは、うつ病の再発に伴い味覚に起こった異変だ。

 大好きな和食や中華料理は、口に入れると「ただ『ねちょねちょ』している物」に変わり果てた。

 だしの味わいは失われ、奥行きも何もない。「強いて言えば、しょうゆなど調味料単体の味だけ。それもすぐに消え、物をかみ砕いているかのようでした」

 元々は辛党で、日本酒の飲み比べで銘柄を当てるのが得意なほど味覚には自信があった。

 1日3食だった食事は2食に減り、1食半に減った。

 うまくもない酒を、朝から何杯もあおった。「一秒でも意識をなくしていたかったんです」

 ◇手にとった筆 目覚めた好奇心

 そんな日々にあっても、唯一足が向いた場所があった。6、7年前から通う、調布市内のとある居酒屋だ。

 「タカ、ちょっと飯でも行くか」

 「中西さん、優しいからいろいろ抱えちゃうよね」

 「今はうつ病なんだから、しょうがないよ」

 店主や常連客の気遣いが身に染みた。

 収入への不安もあり、中西さんは22年12月ごろから再び働き始めた。再発から2年あまりの年月がたっていた。

 療養期間が明けてから、筆を手にとり、花瓶に挿した赤いバラの絵を描いた。創作活動を重ねるうちに感情が復活し、揺さぶられる感覚があった。

 「ここをこう描いたら面白いかもしれない。この部分はこんな色づけをしたい。そんなふうに、好奇心が目覚めていく感じがありました」

 そうして、心の調子を取り戻しつつあった23年冬。いつもの居酒屋で刺し身を食べた。魚のうまみが口内に広がった瞬間は今も忘れない。

 「そっか。ここまで回復してきたんだ!」

 絵に救われた経験を、誰かのために生かしたい。そんな思いを自身のウェブサイトなどで発信し始めると、さまざまな理由で生きづらさを抱えた人たちから連絡が来るようになった。

 ◇僕の作品が「誰かの生きる力に」

 中西さんが「食」に強く興味を持つようになったきっかけをくれたのも、その居酒屋だった。

 食材に関する知識や生産者の思いを店主から聞き、自然と食に対する敬意を抱くようになったという。

 「人にとって、食は欠かせないものです。食を中心につながる命や、人々の思いをカタチにしたいと思いました」

 そして、中西さんはこう語る。

 「うつ病になった時、絵をきっかけに新しい自分を見つけることができました。今度は僕の作品が、誰かの生きる力や新しい発見につながればうれしいです」

 × × ×

 個展は東京都中央区銀座2の9の16の「Gallery SIACCA」で、正午~午後7時(最終日は午後5時)。サケの産卵から人に命がつながっていくまでを描いた3部作など、この1年ほどで描き上げた油絵原画14点を展示。ポストカードサイズのミニ原画も販売している。詳しくは中西さんのウェブサイト(https://takanaka-art.com/)。【千脇康平】

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