血で染まった洗面器の記憶 核兵器廃絶へ「100歳まで頑張る」

2026/08/09 18:41 

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 原爆がさく裂した時刻に合わせ、鐘の音が響く9日の平和祈念式典会場。東京都の遺族代表として参列した四辻美智子さん(85)=東京都大田区=は、悔し涙をにじませた。核兵器廃絶運動にライフワークとして取り組んできたが、悲願はかなっていない。「100歳まで頑張らないと」

 ◇生き埋めになった妹

 被爆当時は5人きょうだいの上から3番目で、4歳だった。銭座国民学校(長崎市銭座町)近くに家族7人で暮らしていた。8月9日の記憶はあまりなく、六つ上の姉から教わった。

 あの日は子どもだけで留守番し、四辻さんは兄と一緒に家の表にいた。爆心地から約1・5キロ地点の自宅は倒壊。中で寝ていた当時1歳の末っ子の妹が生き埋めになり、近所の人の手を借りて助け出した。一命は取り留めたが、鼻や耳、口の中にガラスの破片が刺さり、血だらけになったという。

 四辻さんは、末の妹が顔を洗った後の洗面器が、血で染まっていたことを覚えている。その後、末の妹に見せてもらった頭部のレントゲン写真には、30個近くの白い破片が写っていた。原爆との関連は不明だが、四辻さん自身も長年、貧血や、関節が曲がった手の指の痛みに悩まされた。

 ◇続けてきた「6・9行動」

 家族7人が全員生存したのは奇跡だった。「本当におかげさま。何十年も生かされている」。結婚を機に20代で上京したが、毎月6日、9日を中心に東京の街頭で核兵器廃絶を訴える「6・9行動」などの取り組みには欠かさず参加する。

 昨年2月、長崎に住んでいた姉が亡くなった。「きょうだいたちの面倒をみた姉が一番大変だったと思う。感謝しきれない」。姉に思いをはせ、今年は初めて長崎の平和祈念式典に参加した。「長崎の街を見て、子どものころを思い出し、気持ちが若返った気がする。核兵器廃絶に向けて、100歳まで頑張らないと」【諸隈美紗稀】

毎日新聞

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