「うまい選手はたくさんいるが…」 鬼武健二氏が語る世界のカマモト

2025/08/10 18:16 

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 「日本サッカー史上最高のストライカー」と称され、1968年のメキシコ・オリンピックで得点王に輝いた釜本邦茂さんが10日、亡くなった。81歳だった。

 Jリーグ発足前でアマチュアだった日本サッカー界が輝きを放った60年代。その原動力となったのが釜本さんだった。

 京都・山城高の時、東京五輪(64年)を前に日本サッカー協会が招いたデットマール・クラマーさんとの出会いが成長のきっかけとなった。「日本サッカーの父」とされるドイツ人コーチから学んだのは「基本の大切さと、そこからの積み上げ」。パスを出したら動く、ボールを受ける前に次のプレーを考えるなどの基礎を徹底的な反復練習で体にしみこませた。

 その集大成となったメキシコ五輪では、主将だった八重樫茂生さん(故人)や名コンビを組んだ杉山隆一さんらとともに日本サッカー初のメダル獲得に貢献。計7点を挙げた釜本さんは、3位決定戦で後方からのパスを胸トラップから左足で決めた先制点に続き、右足の強シュートで追加点。左右両足と頭、どこででも点を取れるプレースタイルを象徴する2ゴールで、「カマモト」の名を世界に知らしめた。

 国際Aマッチ76試合、通算75得点の数字が示すように得点力は群を抜く。旧日本リーグのヤンマーで監督として指導した鬼武健二・元Jリーグチェアマンは「釜本よりうまい選手はたくさんいる。でも、決定力ということになるとちょっと違うかもわからんね」と表現した。プロ化され、日本代表がワールドカップで16強入りするようになってもなお「不世出の選手」と評価は揺らいでいない。【野村和史】

毎日新聞

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