ベトナム戦争終結50年 長年公式報道されなかった北朝鮮派兵の歴史

2025/04/30 17:04 

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 北朝鮮は4月28日にロシア西部クルスク州でのロシア軍による奪還作戦に北朝鮮軍の部隊が参戦していたことを明らかにした。北朝鮮がウクライナ戦線への派兵を公式に認めたのは初めて。北朝鮮はこれまでも友好国を支援するため軍を送ってきたが、その代表的な一つが30日に終結から50年を迎えたベトナム戦争だ。ベトナムの首都ハノイの近くには、戦死した北朝鮮兵士の墓もある。

 ◇朝鮮戦争後、初の海外派兵

 北朝鮮の海外派兵の歴史に詳しい聖学院大の宮本悟教授(北朝鮮政治)によると、1965年に米国が直接介入したベトナム戦争で、北朝鮮は社会主義国の北ベトナムを支援するため空軍や心理戦部隊などを派遣。心理戦部隊は、親米の南ベトナムを支援する韓国軍兵士を寝返らせるためだった。これが、53年の朝鮮戦争停戦後に北朝鮮が実施した初の海外派兵だという。

 また、73年の第4次中東戦争でエジプトへ空軍を派遣。ラオスやカンボジアにも軍事支援し、軍事顧問団を送っていたアフリカの国々では内戦にも関わったそうだ。

 ◇30年以上たって公式報道

 宮本教授の話では、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記の祖父、金日成(キム・イルソン)主席の著作や演説などをまとめた「金日成全集」の第37巻が2001年4月に北朝鮮で出版され、6月には第38巻が出たが、この中でベトナムへの派兵について触れられている。

 さらに、朝鮮中央放送は01年7月6日、金主席の命により派遣された軍飛行士らが侵略者らを全滅させたと報道。同12日には、ベトナムを公式訪問中の北朝鮮の最高人民会議常任委員長が「朝鮮人民軍烈士墓」に献花したと報じ、派兵や戦死者の墓の存在が対外的に次第に明らかにされた。

 ◇墓守も元兵士

 墓はハノイから約60キロ離れた北部バクザン省にある。19年2月にハノイで開催された第2回米朝首脳会談の際に記者が訪ねると、レンガ造りの壁に囲まれたあずまやに兵士14人の墓石が並んでいた。入り口の鍵を開けてくれた墓守の男性は北ベトナム軍の元兵士だった。

 中には大きな碑があり、ベトナム語で「朝鮮人民軍兵士14人の英霊の眠る場所だった」と記してあった。墓守によると02年に遺骨は北朝鮮に送られ、墓地も今の形に整えられたという。

 墓石の片面にハングル、もう片面にはベトナム語で兵士の名前や出身地、生年月日、戦死日が刻まれていた。14人のうち、戦死日が一番早いのは65年9月24日で、遅いのは68年2月12日。2人以外は67年3~10月に亡くなっていた。

 戦闘で足を撃ち抜かれ古里に帰ってきたという墓守は当時、「戦争はもうたくさん。対話で問題を解決してほしい」と、米朝首脳会談への期待を語っていた。

 ◇終結後は幼稚園も支援

 ベトナム戦争の終結から約3年後の78年3月、ハノイに北朝鮮の復興支援による幼稚園が開校。今は朝鮮文化の学習や英語教育も取り入れ、大勢の子供が通っている。【西脇真一】

毎日新聞

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