硫黄島で追悼式 平和の決意、新たに 太平洋戦争で2万人以上が戦死

2025/01/16 18:06 

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 太平洋戦争末期の激戦地で、日本軍守備隊2万人以上が戦死した硫黄島(東京都小笠原村)で16日、都主催の戦没者追悼式が開かれた。遺族36人と来賓らが戦没者を慰霊し、戦後80年の節目に平和を願う決意を新たにした。

 式典は1983年に始まり42回目。島の中央部東側にある「鎮魂の丘」で式典が開かれた。守備隊最高指揮官だった栗林忠道・陸軍中将(戦死後大将)の孫、栗林快枝(よしえ)さん(65)が遺族を代表してあいさつ。「日本では幸いにも長い間、戦争のない平和な時代が続いている。遺族としては、この平和を守り続け、尊い命を奪い、ただただ深い悲しみだけを残す戦争を絶対に繰り返さないために、事実を風化させないよう、永く後世に正しく伝えていかなければならない」などと語った。小池百合子知事の式辞は山口真・福祉局長が代読した。

 式典後、参列者は守備隊の拠点だった「天山壕(ごう)」の上に建立された慰霊碑や野戦病院となった医務科壕、6人の米兵が星条旗を立てる瞬間の写真で知られる摺鉢山、多数の遺骨が収容された自衛隊滑走路西側などを巡り、花を手向けた。

 硫黄島は戦略上の要衝で、45年2月19日に米軍が上陸。5日程度で占領する予定だったが、地下壕を拠点とする日本軍守備隊との激戦が続き、3月26日に組織的戦闘が終わった。

 生き残った日本軍兵士は全体の5%以下、1000人程度とされる。軍属として残った硫黄島民82人も亡くなった。米軍の戦死者はおよそ6800人に上った。日本人戦没者の遺骨はおよそ1万体が収容されていない。また約1000人の島民の多くは44年7月、本土に強制疎開となった。硫黄島など小笠原諸島がアメリカから返還された68年以降も自由な帰島は許されず、事実上の強制疎開が続いている。【栗原俊雄】

毎日新聞

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