米軍上陸80年 座間味島で慰霊祭 集団自決で住民177人が犠牲

2025/03/26 12:07 

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 第二次世界大戦末期の1945年3月、沖縄県・慶良間(けらま)諸島への米軍上陸で日米両軍による地上戦が始まって26日で80年となった。慶良間諸島の一つで、住民の「集団自決」が起きた座間味(ざまみ)島では座間味村主催の慰霊祭があり、参列した遺族ら約150人が犠牲者の冥福を祈った。

 慶良間諸島は沖縄本島の西約40キロにある。座間味島での慰霊祭は、戦没者の刻銘碑がある「平和之塔」の前で営まれた。参列した高江洲(たかえす)敏子さん(93)は当時、両親ときょうだいの家族6人でガマ(自然壕(ごう))に避難して生き延びたが、戦争で兄2人を失った。住民代表として「あの時の私が経験した怖さ、つらさを二度と孫やひ孫に体験してほしくない。この平和がいつまでも続くように祈っている」と追悼の言葉を述べた。来賓として参列した玉城デニー知事はあいさつで「戦争の不条理さ、残酷さ、平和の尊さを次の世代に正しく伝える」と誓った。

 45年3月26日から米軍は慶良間諸島への上陸を始め、45年4月1日には沖縄本島に進攻。日本軍による組織的戦闘が終わるまで約3カ月にわたる地上戦となり、住民を含む約20万人の死者が出た。慶良間諸島の複数の島で住民が手投げ弾や鎌、カミソリなどで互いを手にかける集団自決が起きた。県史によると、座間味島での集団自決の犠牲者は177人とされる。【比嘉洋】

毎日新聞

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