熊本地震後に移住、就農、結婚 ボランティア契機に開けた視界

2025/04/14 11:00 

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 ひび割れた地面、壊れた家々、寸断した道路――。9年前、熊本地震で未曽有の被害を受けたその村は、荒廃し、村人は途方に暮れていた。

 いてもたってもいられずボランティアとして駆けつけた男性は、そこで生業を見つけ、伴侶とも出会い、気づけばその地に根付いていた。

 支援するつもりで来たのに、ずっと周囲に支えられてきた。だからこそ強く思う。地域にどう報いられるか、と。

 4月上旬、菜の花が見ごろを迎えた村で、熊本県西原村の小出真也さん(49)は軽トラックを走らせていた。助手席には妻の美紗子さん(41)、荷台には飼っているペットのヤギを乗せて畑へと向かう。

 「復旧が進み、随分と景色が変わりましたが、通れるようになるまで数年かかった道もあります」と小出さん。美紗子さんは「長かったよね」と応じた。

 2016年4月14日と16日、熊本県を最大震度7の地震が2度にわたって襲った。熊本、大分両県で4万棟以上が全半壊し、災害関連死を含む278人が亡くなった。

 震源に近い西原村では前震で震度6弱、本震で震度7を記録。9人が死亡、村の半数以上に当たる1377棟が全半壊した。

 出身地の静岡県の食品会社に勤めていた小出さんは、11年の東日本大震災でのボランティア経験もあり、「何か役に立ちたい」と有給休暇を取って熊本県の被災地に入った。がれきの撤去などをするなか、たどり着いたのが西原村だった。

 阿蘇外輪山のふもとの台地にある西原村では農業が盛んだ。

 地震でサツマイモの貯蔵庫やハウス、農業用機械などが被災し、復旧や農作業の人手が求められていた。農業ボランティアとして繰り返し村を訪れるなか、豊かな自然や人々の優しさに魅了されていった。

 ちょうど、勤めていた会社の「食の安全」を軽視する姿勢などに違和感を覚えていた時期だった。会社を辞め、17年から農業研修生として村で働き始めた。

 「農業を継ぐ者がおらん。畑ならいくらでもある。興味あるならしなっせ」。

 村の高齢者が後押ししてくれた。2年間の研修を経て、19年に独立し、現在は借り受けた計約1・5ヘクタールの畑でサツマイモやサトイモ、ホオズキを栽培する。

 経験のないまま飛び込んだ農業の世界。軽トラックやトラクターは中古でそろえた。試行錯誤の連続だったが、周囲が支えてくれた。

 「村の人が惜しみなくコツを教えてくれるし『好きに使って』と農機具を貸してくれる。こんな環境はない」と感謝は尽きない。

 23年にはボランティア仲間の紹介で知り合った熊本県宇城市出身の美紗子さんと結婚。式場には、地震で大きな被害を受け復旧途中だった阿蘇神社を選んだ。

 地震後、離農を余儀なくされる人が出るなど村の人口は18年5月には6703人にまで落ちこんだが、近くの同県菊陽町で半導体受託製造の世界最大手「台湾積体電路製造」(TSMC)の工場が稼働した影響もあり、25月3月には7043人にまで増えた。

 だが、農家の後継者不足は課題として残り、耕作放棄地も増え続ける。

 農業ボランティアも延べ1000人近くが従事したが、小出さんのように移住に至るケースはまれだ。壁を作らずコツコツ努力を続けたことで周囲に認められてきた。

 近くに住む農家、曽我君代さん(73)は「愛される人柄。農業のことも一生懸命勉強している。私が聞くぐらい」と信頼を寄せる。

 振り返れば、ボランティアに訪れた時は自分が農業を始めるとは思ってもみなかった。

 「ずっと自由気ままに生きてきた。かつては隣の人の顔も分からなかったけど、今は隣近所、みんな知り合い。大家族みたい」。

 今の目標は、美紗子さんと二人三脚で西原村特産のサツマイモの品質を高め、村を盛り上げることだ。この地で夫婦で年輪を重ねる未来が、くっきり見える。【山口響】

毎日新聞

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