天皇ご一家、かりゆしウエア姿で首里城訪問 再建担う職人たちを激励

2025/06/05 20:28 

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 戦後80年にあたり、沖縄県を訪問した天皇、皇后両陛下と長女愛子さまは5日、米潜水艦に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の歴史を伝える対馬丸記念館(那覇市)を初めて見学された。ご一家は「対馬丸だけが狙われたのですか」「疎開船だと分かっていたのでしょうか」などと質問を重ねながら理解を深めた。近くに建つ慰霊碑「小桜の塔」では白い花束を手向け、深く一礼。犠牲者を悼んだ。

 対馬丸は太平洋戦争中の1944年8月21日、1788人を乗せて那覇港を長崎に向けて出港。翌日夜、鹿児島県・トカラ列島の悪石島(あくせきじま)沖で撃沈された。記念館によると、犠牲者は氏名が判明しただけで1484人で、うち学童は784人。

 記念館には、子供たちの遺影や使っていた筆箱やノートなどの遺品が並ぶ。ご一家はじっと見つめ、説明を聞きながら何度もうなずいていた。

 その後、4歳で船に乗り、両親と7人のきょうだいを亡くした高良政勝さん(85)の体験談を聞いた。高良さんは長年、歯科医をしながら記念館の運営に携わり、対馬丸の悲劇を語り継いできた。ご一家そろっての訪問をうれしく思うといい、取材に「小さな記念館によく関心をもってくださった。大切に維持していかなければいけないと思いました」と話した。

 ご一家は語り部たちとも交流した。愛子さまに「語り部としてどのようなことを伝えたいですか」と尋ねられた嶋田玲子さん(69)は「命の尊さ」と回答。熱心な質問に力づけられたと振り返り、取材に「これからも若い世代、子供たちにしっかり継承していこうという気持ちになった」と語った。

 この日は帰京前、沖縄の夏の正装である「かりゆしウエア」を着て2019年の火災で焼失した沖縄のシンボル、首里城の再建現場も訪問。仮設の覆いの中で工事が進む赤い屋根の状況を見ながら、職人らから説明を受けた。天皇陛下は「ちょうなは使わないのですか」と職人たちの道具にも関心を寄せていた。

 首里城はこれまで度々、火災や戦乱で焼失してきた。今回の再建工事では特に若手や女性が活躍しているという話を聞いた皇后雅子さまや愛子さまは「女性として大変だったことはありますか」などと20代の女性職人に質問。雅子さまは「たくさんの人々が完成を楽しみにしていますね」と笑顔を向けていた。【山田奈緒、日向米華】

毎日新聞

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