<残像1945>沖縄戦終結、降伏後も消えた命 両親の名を呼び…泣き叫んだ孤児たち
1945年9月7日、南西諸島の日本軍代表者は沖縄県越来(ごえく)村(現・沖縄市)で降伏調印式に臨んだ。東京湾の米戦艦ミズーリで日本の外相らが降伏文書に調印した5日後のこと。沖縄での日米両軍の地上戦は正式に終結したが、住民たちは沖縄本島各地の収容所に入れられたままで飢えやマラリアに苦しんだ。
収容所には孤児院も作られた。米軍が接収した民家やテント小屋を利用した越来村の「コザ孤児院」には乳幼児を含む数百人が収容され、運動場や小学校も整備された。戦争で身寄りを失った子どもたちの養育と教育を担ったのは、沖縄戦に動員されて生き残った元女子学徒たちだった。
栄養失調や病気などで死ぬ子どもが相次いだ。元ひめゆり学徒で、コザ孤児院にいた津波古(つはこ)ヒサさん(故人)は「毎朝、ひとりふたりと冷たくなり、亡くなっている」「台風が襲来し、子どもたちはまた戦争が来たと思ったのか、泣きわめいて『おっとーよう、おっかーよう』と両親の名前を呼んでいました」と回顧している。【喜屋武真之介】
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