大好きな電車、乗るのが嫌に 忘れぬ原爆投下後の車内 94歳元車掌
1945年8月6日の朝、広島市内を走る路面電車で、福岡県福智町金田の小椿朝子さん(94)は車掌として勤務していた。原爆投下で目にした惨状は今も脳裏に焼き付いている。戦後80年を機に、初めて自分の体験を記者に語った。
電停で乗客を降ろし、発車のベルを鳴らした直後だった。閃光(せんこう)とともに背中に熱が刺さった。「ドーン」というごう音、周囲は真っ暗になった。「早くドアを開けて!」。乗客の声で我に返った。爆心地から南、4キロの地点だった。
車両は動かない。周囲の建物のガラスは割れ、壁が崩れていた。皮膚がただれ、髪の毛の焼け焦げた負傷者を荷台に満載したトラックが、次々と目の前を通り過ぎていった。
広島県北部、大朝町(現・北広島町)出身。乗務員の出征で、要員不足の広島電鉄が車掌養成のため開設した広島電鉄家政女学校の寮で授業と乗務に励む日々が暗転した。
市中心部をさまよった。爆心地から約2キロの本社とその近くの寮も焼けて跡形もなくなっていた。産業奨励館(現原爆ドーム)は丸いドームが鉄骨だけになっていた。そばにあった電車は脱線して焼け落ち、乗客らは折り重なって黒焦げになっていた。
夕方、合流した同級生数人とたどり着いた避難所は、けが人があふれ、助けを呼ぶ声はやまない。夜に血を吐き苦しむ人は、朝になると亡くなった。
広島電鉄によると、原爆により所有していた123両の9割近い108両が破損。女学生290人を含む従業員1241人のうち185人が死亡し、266人が負傷した。一部区間は早くも8月9日に復旧した。
大きなけががなかった小椿さんも間もなく復帰。勤務中に見た光景が生涯、忘れられなくなった。当時、犠牲となった遺体は市街地の路肩に積まれていた。遺体では無数のハエが成長。周囲を飛び交っていた。止まったハエが始終動くため、本来は白い車両の天井が、黒い、うごめくものになった。発車のベルを鳴らすと車内はハエが飛び回る。悲鳴を上げる乗客。大好きだったのに、電車に乗るのが嫌になった。
小椿さんは、男性社員の復員に伴い同年9月末で退職。その年の秋に福岡県の金田町(現・福智町)に住む親戚の元に養女へ。3人の子どもをもうけた。
閃光を浴びた小椿さんの背中には、黒い斑点が残る。慢性的な貧血にも苦しんできた。だが、原爆が投下された8月6日は本来、小椿さんは休みで寮にいたはずだった。体調不良の同僚の代わって乗務していた。寮にいたという同僚は亡くなったといい「自分が本当は死んでいたかもしれない」という思いはずっと拭えない。「罪もない人を殺す原爆は、絶対にあってはいけん。戦争はいけん。それが私の願いです」。何度も繰り返した。【出来祥寿】
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