坂本弁護士一家殺害、遺体発見から30年 元同僚らが慰霊式 新潟

2025/09/08 15:36 

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 オウム真理教幹部に殺害された坂本堤弁護士(当時33歳)が遺体で発見された新潟県上越市名立区の山中で6日、日本弁護士連合会の渕上玲子会長や坂本さんの元同僚の弁護士らが献花し、黙とうをささげた。遺体発見から30年を迎え、慰霊碑の維持管理を日弁連が主体的に行っていくことになった。

 坂本弁護士は、オウム真理教信者の脱会支援に取り組んでいた1989年11月、横浜市の自宅で教団幹部に襲われ、妻の都子(さとこ)さん(当時29歳)、長男の龍彦ちゃん(当時1歳)とともに殺害された。

 遺体は別々に埋められ、坂本弁護士は現在の上越市内の山中で、都子さんは富山県魚津市で95年9月6日に見つかった。龍彦ちゃんの遺体も4日後に長野県大町市で発見された。3人の慰霊碑はそれぞれの場所に設置されている。

 慰霊碑は97年に「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会(救う会)」が中心となり建立した。メンバーの高齢化などに伴い、今後は日弁連が代わりに維持管理などを主体的に担うという。

 6日の慰霊式典で、日弁連の渕上会長は「坂本弁護士事件は弁護士業務妨害対策の原点。弁護士が業務妨害に屈してしまったら、依頼者や市民の人権、社会正義が失われてしまいかねない。事件の風化防止の象徴として語り継いでいく」とあいさつした。

 坂本弁護士が亡くなる前まで2年半、同じ法律事務所で働いていた小島周一弁護士(69)は、「坂本はみんなで集まることが好きで家族が大好きな男だった。発見された時に『6年近くも独りぼっちで俺らを待っていたのか』という思いと、(教団に対して)『一家を殺害して目的を達成したのならせめて埋める時くらいは一緒にしてやれよ』という二つの思いが浮かんで涙がこぼれた」と当時を振り返った。

 遺体発見から30年の月日が流れた。小島弁護士は「彼と一緒にやったこととか、飲んで話したこと含めて思い出は意外と薄まらないものだと感じた」という。「事件を契機に弁護士への業務妨害の対策が根付き、日弁連の力も借りて事件のことを伝えていくことができることは坂本も喜んでいると思う」と語った。【戸田紗友莉】

毎日新聞

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