南房総で最高の一杯追求 仏出身の醸造家、地域で育むクラフトビール

2026/01/05 14:30 

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 空になったカップを持ち、若い男性がタップルームに入ってきた。青空の下、ビール片手にハンモックで揺られていたらしい。「あ~、気持ちいい」と言いながら追加のビールを注文した。

 笑顔でうなずいたギュレ・フィリップさん(45)はタップ(ビールたるにつながった注ぎ口)のレバーを倒し、「さっき飲んだビールはいかがでした?」と聞いた。「おいしかった」と絶賛する客に、フィリップさんは製法や麦芽とホップの産地などを説明した。フランス・マルセイユ出身で日本に来て23年。流ちょうな日本語はわかりやすく、客はうなずきながら聴き入った。

 千葉県南房総市安馬谷(あんばや)に、のどかな田園と竹林に囲まれた築約120年の古民家と、蔵を改装した醸造所がある。フィリップさんが「大好きなクラフトビールを多くの人に味わってほしい」と2022年に開いた「海岸醸造」だ。

 庭にはベンチやデッキチェアーが並び、毎週土曜日はビアガーデンとして開放している。地域と交流しながら年間3万2000リットル、25種類のビールを製造し、ガイド付きの工程見学会も受け付けている。

 ◇奥深さに「ハマった」

 フィリップさんは02年に仕事で訪れた日本を気に入り、そこから転職して住み始めた。祖国はワイン大国だが、クラフトビールに出合ってからはその魅力にとりつかれた。小規模な醸造所で製造される多様なビールのことだ。

 「ワインはブドウの種類や産地などで違った味になる。クラフトビールも麦芽やホップの組み合わせで何通りもの味ができる。その奥深さにハマっちゃった」

 ついには自分で店を持つまでになり、海岸醸造が稼働する約3年前、19年に東京・下北沢に世界各地のクラフトビールが飲めるバーをオープンさせた。醸造所はその供給元として建てられたようにみえるが、逆なのだという。「いろいろな味のビール造りに挑戦したかった。そこでまず安定した販売先を作った」

 ◇地域住民と交流

 ビール造りはチャレンジ精神旺盛で、材料にもユニークなものを取り入れる。ワカメ、シイタケ、ブルーベリーなど、どれも近所の人たちからもらった規格外品だ。お礼に庭で採れた柿を配り、麦芽の搾りかすを家畜のえさとして提供する。祭りで地域住民と一緒にみこしを担ぎ、里山の保存活動をする住民団体にも参加する。

 「人々が助け合い、仲良く暮らすコミュニティーがすばらしい」とフィリップさん。古き良き日本文化を愛する気持ちも強く、ビールのネーミングには妖怪を採用している。

 かんきつと松の香りが特徴的な「SHOJO」は、いたずら好きでよく酒を飲む妖怪・猩々(しょうじょう)に由来する。トロピカルな香りが詰め込まれた「OGAMA」は虹色の息を吐く大蝦蟇(がま)をイメージした。缶ビールのラベルにはそれぞれの妖怪が現代的なイラストで描かれている。

 ◇「本職」は…

 バーは24年に都内で2店目をオープンさせ、醸造所の運営もあり多忙の身だが、本業は外資系飲料メーカーの日本法人に勤める会社員だ。普段は都内で日本人の妻、娘と暮らし、週の後半は醸造所に来て本業のリモートワークをしながらビール製造に励む。

 頼もしい仲間もいる。元はバーの客だったというジェラ・メディさん(39)だ。フィリップさんと同じくフランス出身でクラフトビールにほれ込んだ。今は醸造所の近くに住んでヘッドブルワー(醸造責任者)としてビール造りを支えている。

 「2人の友情とビールへの情熱が、この醸造所の原動力です」とフィリップさんは語る。南房総の自然や地域と調和しながら一杯の味を追求しているが、利益は度外視だ。「みんなが楽しんでくれたらそれでいい」。フィリップさんはそう言って、自分のために注いだ一杯を高く掲げた。【岩崎信道】

毎日新聞

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