ふるさとに残した一本の桜 浪江町避難指示区域の四季
2025年の春。福島県浪江町の山あいにある赤宇木(あこうぎ)地区の道路沿いに、一本の桜が咲いていた。周辺はどこもバリケードに閉ざされ、人けはない。
「(結婚の)記念樹なんだよ。花見をしようと思って」。桜を植えた今野斉(ひとし)さん(71)が避難先の川崎市で教えてくれた。体調に不安もあり、この年、帰って桜を見ることはできなかった。
35年ほど前、滝桜で有名な同県三春町で苗木を買った。自宅前の道を通る人に、楽しんでほしいという気持ちもあった。春には桜の見える庭でバーベキューを楽しんだ。「子どもたちは2階の屋根の上に乗っかって。『奇麗だね』なんて言っていたんだ」。家族にとって大切な存在だった。
東日本大震災発生時は仕事で福島県沿岸部の火力発電所にいた。敷地内の高い建物に避難して津波から難を逃れた。なんとか帰り着いた自宅を原発事故によって追われることになったのは数日後のこと。今でも地区はほとんどが避難指示区域の中にある。
自宅は動物に入られるなどして荒廃。数年前にやむなく解体し、一家の墓も川崎市に移した。その中で桜の木を残したのは「思い出が何にもなくなっちゃう」と感じたから。
浪江町は今も総面積の約8割で避難指示が続いている。国は、希望する住民が20年代中に帰還できるよう、宅地や道路を中心に除染を進めている。
帰りたいと望むふるさと。真っ青な夏の青空、道沿いを彩る紅葉、地面を覆う雪。人の戻れないこの地区で、ゆっくりと季節は巡り続ける。
最近は体調も良くなっており、今年はふるさとに行きたいと考えている。残してきた桜もまた見たい。「せっかく自分が植えた桜だしね。生きた証しでもあるし」【渡部直樹】
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