完全復旧までなお25年超 熊本城復元へ「希望」つなぐ若手職人

2026/04/13 10:00 

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 2016年4月の熊本地震で大きく傷ついた熊本城の復旧作業は、発災10年となる今もなお続く。伝統的な技法で造られた建築物の修復には息の長い作業が必要で、ベテランから次世代への技術の継承は欠かせない。「熊本のシンボル」を復旧させようと奮闘する若き職人たちの存在が、地域の希望を明日につないでいる。

 熊本市南区出身の出良(いでら)大空(ひろたか)さん(24)は、同市の建設業者「カワゴエ」で左官として働く。ヘルメット姿の復旧作業員らが行き交う熊本城で、江戸時代末期に築かれた国重要文化財、田子櫓(たごやぐら)の復旧に携わる。

 ◇「ものづくりに携わりたい」と左官職人に

 熊本地震は中学3年の時に経験した。4月14、16日と2度にわたって激震が襲い、自宅も棚が倒れて物が散乱。自身や家族にけがはなかったが、近所の家の壁にはひびが入り、液状化現象で道路のマンホールは浮かび上がった。

 熊本城の被害も大きかった。大天守最上階の瓦はほとんど落ち、1607年の築城時からの姿を保っていた宇土櫓(うとやぐら)など重要文化財13棟は全て損壊。国の特別史跡で「日本一美しい」といわれた石垣は全体の3割に当たる2万3600平方メートルで崩落などの被害が出た。出良さんも幼い頃から親しんでいた城が無残な姿になったことにショックを受けた。

 プラモデルづくりが好きで手先が器用だった出良さんは地震から1年後、熊本工(熊本市中央区)の建築科に進学。ラグビー部で花園出場を果たすなど、充実した高校生活を送り、ものづくりに携わる仕事に就きたいとカワゴエを就職先に選んだ。20年春、左官見習となった出良さんの初仕事となったのが、熊本城の重要文化財、長塀(242メートル)の復旧だった。

 いきなり熊本城の仕事に携わると聞かされ「正直、半信半疑だった」。まだ被害の爪痕が深い一帯の様子に「本当に修復できるのだろうか」とも感じた。それでも、長塀に漆喰(しっくい)を塗る作業に先輩職人と必死に取り組んだ。

 漆喰は2時間足らずで乾くため、失敗した場合はその部分をはぎ取って塗り直さなければいけない。毎日が緊張の連続だったが作業を終えると、目の前には以前より白く、壮観な長塀が建っていた。

 街に出かけるたびに見上げていた大天守の復旧作業にも携わった。日暮れ後、無数の明かりがともった街並みが一望できる作業場からの景色は壮観だった。大天守が21年3月に完全復旧すると、父親と2人で城へ出かけた。「あそこは俺が塗ったんだよ」。自慢しながら、思わず声が弾んだ。

 ◇技術の継承が課題に

 もちろん、やりがいばかりではない。左官は壁を塗るだけでなく、漆喰づくりなどさまざまな仕事があり、泥とわらを足で踏んで混ぜる作業はラガーマンだった出良さんも息切れするほどだ。伝統的建築物では土壁の下地に竹を格子状に組んだものを使っており、竹を結ぶ縄で何度も手の皮をむいた。苦労は尽きないが、「技術を身につけて自分のものにしたい」という向上心が支えになっている。

 そんな出良さんの姿を上司も頼もしく感じている。カワゴエの取締役、丸山憲一さん(61)は「伝統的建築物は規格品というものがなく、左官が材料を一から作り、良しあしを判断しなければいけない」と作業の難しさを語る。「経験を重ね技術を磨くことが大切。これからも頑張ってほしい」とエールを送る。

 出良さんが向き合っている田子櫓の復旧は28年9月の完了を予定する。ただ、城全体の復旧はまだまだ長い時間が必要とされており、現在は解体されている宇土櫓の再建は32年度、崩れた石垣も含めた城の完全復旧は52年度の予定だ。

 伝統的な建築物に携わる職人は高齢化が進み、熊本城の復旧を進める市にとっては若い世代への技術継承が今後の課題となっている。若手職人に対する期待は大きく、市の担当者は「出良さんのような存在は復旧の希望です」と語る。

 出良さんもその役割を自覚する。「先輩たちから託された技術を次に受け継ぐ懸け橋になりたい」。そう、さらなる成長を誓う。【中里顕】

毎日新聞

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