<デジタルを捨てよ 町へ出よう! >猫と一緒に高島を去った少女 炭鉱閉山直後の記録

2026/06/29 07:00 

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 1987年3月、長崎市の離島、高島港では船が出る度に別れの紙テープが宙を舞いました。前回も触れた通り、高島炭鉱は前年11月に閉山しました。島や炭鉱の関係者にしてみれば、人生の一大転機。数枚の写真と短い記事で多くの人の思いを語るのは不可能です。そこで今回は、たまたま同船した「島を去る少女」に焦点を当ててみました。【中村琢磨】

 離島振興を目的に、66年に設立された「公益財団法人日本離島センター」によると閉山当時、約5500人が暮らしていた高島も今は200人強。約700人の児童生徒がいた小中学校は10人程度になりました。県立高校は89年に廃校になったそうです。一つの巨大産業に支えられた島は、大きく変貌せざるを得ませんでした。

 島を訪れた日は、小学校の終業式の日でした。この日を待って、島を出る家族も多かったでしょう。港の岸壁は、船を見送る人であふれました。でもすぐに見送られる側になった人も大勢いたでしょうね。

 島が慌ただしさに包まれる中、何とものんびりとした光景に出会いました。猫の首にリード(ひも)を付けて、散歩している少女がいたのです。写真を撮らせてもらいましたが、特に深く考えたわけではありません。名前を尋ねたりすることもありませんでした。

 昼過ぎに高島を出る船の周囲では、島を出る人たちが複雑な表情をしていました。さまざまな思いがよみがえってくるのでしょうか。笑ったかと思ったら、急に寂しそうな顔にも……。冒頭の写真もそうです。

 あれっ、寂しそうな大人の脇に猫を散歩していたクールな少女がいるではありませんか。船内でも意外にニコニコしていました。今思えば、猫が気になって仕方なかったのだと思います。

 船尾からは「古里」高島が見えましたが、振り返る人は少なかったと記憶しています。港での別れを終えれば、感傷に浸るよりも、今後の現実が優先だったのかもしれません。

 船が長崎港に着いた後も、少女はしきりに猫を気遣っていました。確か引っ越し先は長崎市だと語った気がしますから、家族は関連企業に再就職したのでしょうかね。今となっては知るよしもありません。

 ◇撮影機材

Nikon New FM2、Nikkor35-70mm F3.5

 1台で勝負しました。フィルムはKodak Tri-Xで、このシリーズ1回目の池島と同じです。 

毎日新聞

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