元経団連会長の奥田碩さん死去 93歳 元トヨタ自動車社長

2026/08/12 07:25 

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 元経団連会長でトヨタ自動車の社長、会長を務めた奥田碩(おくだ・ひろし)さんが8日に死去したことが関係者への取材で分かった。93歳。

 三重県出身。1955年に一橋大を卒業し、トヨタ自動車の前身のトヨタ自動車販売に入社。主に経理畑を歩んだ。故豊田達郎社長が病気で倒れ、95年に創業家以外から28年ぶりに社長に就任した。

 ハイブリッド車「プリウス」を97年に世界で初めて量産したほか、98年にはダイハツ工業を子会社化。海外にも積極的に進出した。99年から2006年まで会長を務めた。

 99年に故根本二郎氏から旧日本経営者団体連盟(日経連)会長を引き継ぎ、02年には日経連と統合した経団連の初代会長に就き、06年まで務めた。

 企業の社会的責任(CSR)の推進を打ち出し、04年にCSR指針を発表。00年に発覚した三菱自動車のリコール隠しや02年の東京電力による原発のトラブル隠しなどで失墜した、企業への信頼の回復に尽力した。

 一方、政治献金を企業の社会的責任と位置づけ、「政治にカネも出すが口も出す」として、故平岩外四経団連会長が93年に中止を決めた政治献金あっせんを、04年から事実上再開。経団連は自民党支持へ大きくかじを切った。郵政民営化が問われた05年の衆院選で、経団連加盟企業を選挙運動に動員し、自民党大勝を支えた。

 森喜朗首相(当時)が01年に発足させた経済財政諮問会議の議員に就任。小泉純一郎首相の在任時にも引き続き諮問会議議員を務め、経済、政治、行政の改革、規制緩和を柱とする小泉構造改革路線を推進した。また、靖国問題で冷却化した日中関係の正常化を図り、民間外交を進めた。

 09年の政権交代後も政財界に影響力を維持し、日本郵政の民営化見直しや経営陣刷新などで力を振るった。12年からは国際協力銀行の総裁も務めた。

 18年にトヨタの相談役を退いた。J・フロントリテイリングの社長、会長を務めた奥田務氏は実弟。

毎日新聞

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