西部ガスの元「営業」 経験を生かす初の生え抜き監督 都市対抗野球

2025/09/02 09:30 

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 第96回都市対抗野球大会に九州第1代表として出場する西部ガス(福岡市)は2日、日立製作所(茨城県日立市)との初戦に挑む。チームの指揮を執るのは、2012年の創部時から在籍し、24年に初の「生え抜き」監督に抜てきされた松薗史敏監督(35)。監督として臨む初の大舞台を前に「やるべきことをやれば結果は出る。自信を持って東京ドームに乗り込む」と意気込んでいる。

 松薗監督は北九州市の自由ケ丘高から九州共立大に進み、大学時代は内野手として全国4強入りを果たした。「野球を続けるなら地元の福岡で」と思っていたところ、西部ガスに硬式野球部が発足することを知り、迷わず就職先に選んだ。

 創部時のメンバーは、松薗監督ら新入部員13人と、既存の軟式野球部から移籍した5人の計18人。当時の社長の肝煎りで、監督に元日本代表監督の杉本泰彦さん、コーチに元駒大苫小牧高(北海道)監督の香田誉士史(よしふみ)さんを招き、「3年で全国(大会)へ」の目標を掲げて始動した。

 だが、選手たちの実績や野球に向き合う姿勢はさまざまで、平均年齢も20代前半と若く、意見がまとまらずに言い合いになることも度々あった。「完成されていない若いチームだった」。松薗監督は当時をそう振り返る。

 そんな中、杉本さんは論理的手法で選手たちを指導した。練習は毎日30分~1時間のミーティングで始まり、勝つための考え方や打撃に必要な理論を選手に伝えた。入部2年目で主将を任された松薗監督も「チームとしてどこに向かうのか意思統一することが大事」と、試合後に選手間ミーティングを設けるなど積極的に話し合える環境作りを心がけた。

 チームは初めてのオープン戦でプロ野球・ソフトバンクの3軍に0―20で大敗したものの、その後2年半で100試合以上のオープン戦をこなすなど実戦経験を積んで力を付けた。創部3年目の14年に日本選手権本戦に初出場し、当初の目標を達成。翌15年には都市対抗本戦への出場も果たした。

 松薗監督は一旦は主将の座を退いたが、17年に監督に昇格した香田さんから再び主将に指名された。駒大苫小牧高を夏の甲子園連覇に導いた名将、香田さんの指導の下、チームは20年の都市対抗で初勝利を挙げると、一気に8強入りを果たした。

 リーダーシップと指導者としての資質を見込まれ、松薗監督は23年にコーチ、24年に監督に就任。チームはその年に日本選手権で8強入りするなど着実に成長を遂げてきた。

 野球と仕事の両立が、西部ガスの一貫した方針だ。

 松薗監督は入社時、営業部署に配属され、業務用ガスの販売を担当した。月に100件のノルマを課せられたこともあったが、「しっかりと準備して伝えるべきことを伝えると、お客さんに響く部分もあった。野球も結果が先ではなく、やるべきことをやった先に勝ちがある」と学びを得た。

 だからこそ、選手には「野球に全力疾走しよう。取れるアウトは取ろう。投手は打たれてもいいから勝負しよう。打者はどんどん振っていこう」と積極的に声を掛けるようにしているという。

 「目標や方向性を示しつつ、自主練も毎日約2時間しっかりと設ける。ほとんどの選手と一緒に試合をしてきたので、選手との距離の近さも武器になると思う」。理論派の杉本さん、自主性を尊重する香田さんの教えを取り入れながら、日々の指導に向き合っている。

 実は創部時に掲げたもう一つの目標がある。「5年で日本一」だ。あれから13年がたったが、松薗監督は力を込める。「日本一になる準備はずっとやってきた。あとは準備してきたものをどれだけ東京ドームで披露できるかです」【日向米華】

毎日新聞

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