橋幸夫さん、3月に大学卒業予定だった 夢グループ社長「それだけが悔しい」

2025/09/09 20:40 

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橋幸夫さん お通夜に参列した石田重廣社長 (C)ORICON NewS inc.

 9月4日に82歳で死去した歌手の橋幸夫(本名:橋幸男)さんの通夜が9日、東京・小石川の「浄土宗 無量山 傳通院」にてしめやかに営まれた。夢グループ・石田重廣社長が弔問に訪れ、別れをしのんだ。

【写真】素敵な笑顔で送られた橋幸夫さん

 報道陣の取材に応じた石田氏は「『俺は死ぬまで絶対歌う』というものを全うしました。言葉が話せなくなる寸前まで歌を歌った。素晴らしかった。かっこ良かったよ」と、橋さんに声をかけたといい、「昭和の大スター、平成でもスター、令和になっても関心を持ってもらって」と感極まった。

 続けて「78(歳)で大学に入学し、単位もとって、3月卒業の予定でした。それだけが悔しい。入学式も行きました。卒業式も一緒に行こうと約束したのに。それが悔しい」と吐露した。

 橋さんは、1943年5月3日生まれ、東京都出身。中学2年より歌を作曲家・遠藤実師に師事。高校1年でオーディションに合格し、60年に「潮来笠」でデビューして日本レコード大賞新人賞に輝き、舟木一夫、西郷輝彦さん(2022年死去)と「御三家」と呼ばれ、NHK紅白歌合戦に17回連続を含む通算19回出場した。「いつでも夢を」(吉永小百合とのデュエット、1962年)と「霧氷」(1966年)で日本レコード大賞を受賞するなど、多数のヒット曲を生んだ。

 2022年には京都芸術大学の通信教育課程美術科の新入生として入学。2023年5月に歌手活動を引退。その後ファンの声を受けて復帰。アルツハイマー型認知症を明かしながら、ステージで歌い続けていた。
ORICON NEWS

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