「なぜ戦争が始まったか、忘れないで」ウクライナ避難民、支援者の思い

2025/02/25 10:03 

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 ロシアによるウクライナ侵攻開始から3年がたった。在日ウクライナ人でつくるNPO「日本ウクライナ友好協会KRAIANY(クラヤヌィ=「同胞」の意)」副理事長のイェブトゥシュク・イーゴルさん(34)=東京都杉並区=は避難民や現地の子どもへの支援を続けている。「親戚や友人が軍隊に入るなど戦争の密度は変わらないが、日本では(ウクライナから気持ちが)離れていると感じる」と懸念する。

 2015年に筑波大大学院に留学するため来日し、現在はシステムエンジニアとして働く。最後に母国を訪れたのは新型コロナウイルス禍前の19年。22年のロシアによる侵攻開始で母や弟が日本に避難し、後に60歳になった父も続いた。

 侵攻開始後、NPOは安心して勉強できる環境を作ろうと現地の学校にシェルターを贈っている。イーゴルさんは「ミサイルが飛んでくるため学校に通えず読み書きが十分にできない子がいる」と心を痛める。これまでに日本への避難民延べ400人超を支援してきたが、ニーズの変化を感じるという。衣食住といった生活の土台は整ってきたものの日本語の習得が壁になり、現地で働いていた頃のように自身の専門性を生かした職に就くのが難しい。

 イーゴルさんは「ロシアに占領された地域は私たちにとって誰かの親戚が住み、解放を待っている人たちがいる場所だ。侵略が成功したら、同じことを考える国により悲劇が繰り返されるかもしれない。メディアでウクライナという言葉が頻繁に登場しなくなっても激しい戦闘は毎日ある。戦争がなぜ始まったのか忘れないでほしい」と訴えた。

 ◇「もっと働ける機会を」

 避難民を支援する日本財団が今月、都内で開いた報告会では、避難民から支援への感謝と共に就職支援などを求める声が聞かれた。

 22年に来日した長崎県佐世保市在住のアレキサンダー・サマルハさん(19)は「来日当初は日本語が全くできず困ったが、日本語学校に通い、高校でも先生や友達が日本語を教えてくれて助けてくれた」と話した。息子と共に避難し横浜市で暮らす50代のビクトリア・ビリッチ・シャトレーゼさんは「もっと働ける機会があれば、税金を払い、日本社会に感謝の気持ちを表現できると思う」と述べた。【椋田佳代、白川徹】

毎日新聞

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