桐生市生活保護巡る「水際作戦」、真相は 28日に第三者委が報告書

2025/03/27 08:45 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 群馬県桐生市の生活保護制度の不適切な運用について原因究明する第三者委員会の報告書が28日に公表される。市の生活保護受給者数は2011年度をピークに10年で半減し、23年以降、不適切な運用が相次いで発覚。1日1000円の分割支給や、受給者の認め印1948本を預かっての無断押印、窓口での恫喝(どうかつ)や罵声の問題など、数々の情報が集まった。生活保護を受給させまいとする「水際作戦」の有無に、どこまで迫れるかが焦点だ。【遠山和彦】

 第三者委は24年3月、市が4人の有識者に依頼して設置し、吉野晶弁護士が委員長を務める。初回の会合で荒木恵司市長は「生活保護に関する不適切な事務処理に対し、客観的に、公平なお立場から検証をいただき、原因の究明、再発防止の徹底を図ることを目的に設置した」とあいさつした。

 第三者委は8回の会合を開催。市の内部調査チームによる職員と元幹部への聞き取り調査の報告を受け、元幹部に追加の聞き取り調査を行った。職員への追加アンケートを実施し、市民からの情報提供も呼びかけた。報告書は25年3月28日、荒木市長に提出する予定だ。

 ◇10年間で受給者半減

 市の生活保護受給者数は、リーマン・ショック後の世界同時不況で急増。08年度の782人が、11年度に1163人にまで増加した。11年度の保護率は0・97%で、県全体の0・66%よりも高かった。

 不況を境に保護率が上昇したのは県や全国と同じ状況だ。ところが、11年度以降も、東日本大震災の発生による景気の停滞などで県や全国の保護率が高止まりする一方、市の保護率は急減。11年度をピークに、22年度は547人まで減り、半減した。

 この10年に何が起きていたのか。市の内部調査チームは24年7月、14年度から23年度に保健福祉部長、福祉課長を経験した元幹部5人に聞き取り調査をした。

 証言によると、09年度は不景気や派遣切りで保護申請が急増し、市の保護係の職員4人が病気休職。10年度に5人を新たに配置したが体制を立て直すのに2年ほどかかったとの情報が得られた。

 半減の理由については、次のような要因が挙がった。リーマン・ショックの収束に伴う景気回復、15年度の生活困窮者自立支援法の施行、生活保護適用ぎりぎりの経済状態の人に介護施設の各種支払いの減免などをする「境界層該当措置」の適用、フードバンクの利用ーー。

 しかし、これらの状況は全国的に共通している。なぜ桐生市において、受給者数や保護率が急減したかの説明にはならない。

 桐生市生活保護違法事件全国調査団(団長・井上英夫金沢大名誉教授)は25年2月、桐生市や第三者委に「半減の原因の究明がなければ有効な再発防止策を提案することは難しい」と申し入れた。

 ◇「厳しい指導をした管理職」とは

 元幹部5人への聞き取りにより「厳しい指導をした管理職がいた」という証言が得られた。しかし「保護件数や新規申請を抑えるよう指示したか」という水際作戦の有無に迫る質問については、いずれも否定したという。

 何がどう厳しかったのか。12月、第三者委の委員は、元幹部2人に追加の聞き取り調査を行った。改めて「水際作戦」について質すと、いずれも否定。窓口対応についてあらかじめ方針を決めたり、指導したりもなかったと答えた。

 元幹部の1人は「相談者の中には身勝手な考え方をする人もおり、中にはケースワーカーから悪いことばかりを指摘されて『追い返された』と受け取った相談者がいたということを聞いた」と証言した。

 また、窓口への警察OBの配置について「時に大きな声を出す者もいたものの、それまでの職務経験を生かして対応してくれた」と証言した元幹部もいた。

 ◇「恫喝、罵声は日常茶飯事」との情報提供

 これに対し、対応の不適切さをうかがわせる情報も集まっている。7回目の会合で報告された職員への追加アンケートでは、生活保護に関する福祉事務所の相談、指導、対応について「不適切なものがあった」と回答した職員が62%に上り、「ケースワーカーが厳格な対応をしていた」との回答があった。

 また、8回目の最終回で報告された市民からの情報提供では、市職員を名乗る情報が6件あり「保護係の職員による(受給者への)恫喝、罵声は日常茶飯事で、他課職員でさえ聞くに堪えない内容だった」「生活保護利用者について『ろくでもねぇ』『あいつらはくず』と言ってはばからない職員がいた」との情報が寄せられた。

 ◇福祉課に預かられた認め印1948本

 23年12月、市は受給者の認め印1948本を預かり、書類に押印していたと発表。現金支給などの受領印として職員が使用していた。

 印鑑の存在について、元幹部への聞き取りでは、5人全員が知っていた。1989年ごろにはすでに2~3個の印鑑箱があったとの証言、ケースワーカーが代々引き継いだ認め印を12年度から13年度に集めたという証言が得られた。

 なぜ印鑑を保管したか。その理由として、受給者が入院で来庁できない場合、印鑑を預かって押印していたという証言があった。過去には使用を止めるよう指導した部長もいたとの証言もあったが、結果として1948本もの印鑑が残された。

 25年1月28日、生活保護費を支給する際に認め印で文書を偽造したとして、70代の女性が市の職員2人を有印公文書偽造・同行使などの疑いで群馬県警に刑事告発。疑惑の証拠物となった1948本の認め印は、どのように取り扱われるのだろうか。

毎日新聞

社会

社会一覧>