<残像1945>原爆の威力 衝撃伝え続ける鉄の扉

2025/07/25 11:00 

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 1945年8月6日、広島市に投下された原爆では、爆風、熱線、放射線により、多くの市民が犠牲になった。その衝撃波の強さを伝える遺構が、爆心地から南東約2・7キロに位置する同市南区に残っている。

 14(大正3)年に完成した「旧広島陸軍被服支廠(ししょう)倉庫施設」は、戦前、兵士の服や靴などを製造、保管する施設だった。

 約500メートルにわたってL字に連なる赤れんがの倉庫は、原爆による猛烈な爆風の被害を受けるも、倒壊は免れた。投下直後から臨時の救護所となり、被爆した大勢の負傷者がこの場で息絶えたという。

 戦後は学生寮や倉庫として活用されたが、30年ほど前から利用されておらず、老朽化が進んでいる。2024年1月、国の重要文化財に指定され、現在は耐震化工事が行われている。

 この建物の特徴は、被爆建物の中で最大級という大きさだけでなく、被爆時の状態がほぼそのまま残されていることだ。ゆがんだ鉄製の扉は、爆風のすさまじさを、どんな言葉より雄弁に語っている。【写真・文 佐藤賢二郎】

毎日新聞

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