愛媛の8月6日 「誰だって戦争はしたくない」11歳が願い込め語る

2025/08/06 14:14 

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 「平和は単なる目標ではなく、具体的な行動でなければならない」(主催者あいさつより)――。1945(昭和20)年4月~8月に3回にわたって米軍機の空襲を受け、計575人以上が犠牲となった愛媛県今治市で6日、市民らが追悼の式典を開き、平和の鐘を鳴らして世界の平和を祈願した。

 戦争の実態を正しくつかみ、伝える活動を続ける市民団体「今治市の戦災を記録する会」などが主催した。式典で同市立吹揚(ふきあげ)小学校6年、小野葵さん(11)は作文「心から願うこと」を朗読した。

 小野さんは今治空襲で逃げる途中の女学生が爆弾で命を失ったことを「記録する会」の新居田大作会長(90)による同校の平和学習で聞き、「とても心が痛み、胸がしめつけられました」という。

 さらに「世界ではウクライナとロシアが戦争をしていたり、パレスチナとイスラエルが戦争をしていたりします」とした上で、「二度と戦争をしないことを誓って、みんなが平和に暮らしていける世界をつくりたい。本当は誰だって、戦争はしたくないのです」と願いを込めて語った。そして「この世界は、未来の子孫から借りているもの。戦争を知る私たちが、後世に教訓を伝えていきたい」と強く誓った。

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 45年8月6日午前0時過ぎ、64機の米爆撃機B29が今治市の中心市街地に2400発以上の焼夷(しょうい)弾を落とし、焼き尽くした。死者は482人以上。64機が飛び立ったマリアナ諸島テニアン島には当時、二つの飛行場があり、別の飛行場からは8月6日未明、原子爆弾を搭載したB29が広島に向かった。【松倉展人】

毎日新聞

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