合言葉は「逢沢のために」 気持ち一つにつかんだ初勝利 夏の甲子園
夏の甲子園に春夏通じて初出場を果たし、9日の1回戦で初勝利を挙げた静岡・聖隷クリストファー。3日の組み合わせ抽選会でくじを引いた逢沢開生選手(3年)は、左腕の手術のため直後にベンチ入りメンバーから外れ、この日はアルプススタンドで声援を送った。チームをけん引してきた「主将」に勝利を贈ろうと、選手たちは「逢沢のために」を合言葉に戦った。「キャプテンとしてこれ以上うれしいことはない」という逢沢選手は、ナインを頼もしげに見つめた。
◇5月に左腕を骨折
逢沢選手は今年5月の春季東海大会で、右翼から送球した際に左上腕を骨折した。高校最後の夏を間近に控えてのけがだった。
失意の中、上村敏正監督(68)の言葉が励みになったという。「賢い人は、できないことを考えるのではなく、できることを考え、それを行うものだ」
それから3カ月間、チームのサポート役に徹してきた。練習には毎日参加し、体調が悪そうな選手がいれば、真っ先に気づくのも逢沢選手だったという。
甲子園を懸けた夏の静岡大会。開会式で前年の準優勝旗を持って入場行進した後、ベンチ入りメンバーを外れた。そんな逢沢選手が、選手たちに言った。「甲子園に連れて行ってくれ」
「その言葉で、チームの雰囲気が高まった」と、逢沢選手に代わって静岡大会で主将を務めることになった渋谷海友選手(3年)が話す。
◇逢沢と甲子園へ
初戦から大勝を続け、決勝も投打がかみ合い快勝した。決勝で1失点完投したエース左腕の高部陸投手(2年)は、昨年の秋季東海大会2回戦で敗れたときに、逢沢選手から「ここからだぞ」と声を掛けられた。悔しさをバネに成長した姿を見せ「あの言葉が励みになった」と振り返る。これまで、あと一歩届かなかった甲子園に、ついにたどり着き、渋谷選手は「『逢沢と甲子園へ』という思いで、皆の気持ちが一つになった」と話す。
3日の抽選会前、逢沢選手は背番号19のユニホームで甲子園練習に参加した。これまでのチームへの貢献を評価してメンバーに登録されていた。
ノックの補助をしながら、あこがれのグラウンドの土を踏みしめた。「打席でバットを振ってみろと言いたかったが、腕の状態から無理だった。入場行進もさせたかったが……」と上村監督は残念がる。
◇アルプスで応援
抽選会後は登録メンバーを外れ、再び主将を務める渋谷選手に「頼んだぞ」と後を託した。実家のある長野県で5日に手術を受け、予定より早く退院できたため、試合前日の8日夜にチーム宿舎を訪れ、同じ3年生を「2年半の思いをぶつけろ」と激励した。
試合で「逢沢の分まで声を出した」という渋谷選手は、「アルプスで逢沢が応援していることが力になった。2回戦も、泥臭く自分たちらしい試合を逢沢に見せる」と誓う。「次も生き生きと良い顔でプレーして」。アルプスの「主将」の願いだ。【藤倉聡子、長岡健太郎】
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