地元戦没者200人の命落とした場所刻む 小さい町と戦争つなぐ地図
奈良県三宅町役場の隣に珍しい金属製の地図がある。明治以降、戦地へ赴き命を落とした町関係者約200人の名前が日付と共に、亡くなった場所に刻まれている。誰がいつ、なぜ原図を作ったかは今となっては分からない。だが、全国で2番目に小さい町と戦争が無縁ではなかったことを、命の記録は静かに語り続けている。
「誰がどこで亡くなったかを子どもや孫に受け継いでいきたいということで地図が作られたと思うんです」。町遺族会の梅本睦男会長(58)は話す。地図の名前は「三宅町戦没者地点図」。平成時代に置かれたという壁状のモニュメントに掲げられ、旧ソ連や中国大陸、インド洋周辺、ニューギニアが一枚に収まる。1940年の国勢調査で人口3600人程度だった三宅村(町の前身)から、20~30代前後の若者が徴兵されていった。インパールやグアム、サイパン、硫黄島、沖縄など……戦闘や飢え、病気などで多くの兵士が倒れた地点に、町民の父や夫、きょうだい、息子だった人の名前が記録されている。
地図の隣には、奈良県出身の戦没者を慰霊する「大和の塔」(沖縄県糸満市)を模し、根元に小石を貼り付けた忠霊塔がそびえる。酒谷博司前会長(88)は「遺族が吉野川の白い小石に戦没者の名前を書いたそうだ」という。1952年に小学校の校庭に据えられ、77年に現在地に移設された。
忠霊塔を挟んで反対側には母子像がある。男児が持つコップから水が滴る仕組みだ。戦時中、餓死した兵士は少なくない。戦後50年を機に町遺族会が作った証言映像集で、当時の副会長は「二度とこんな悲惨な戦争を繰り返さないためにも、真心のこもった水をささげるという思いで建てた」と語る。
二度と繰り返さない――その思いをつないできた町遺族会。活動の原点に中井澄子さん(2008年に90歳で死去)がいる。地図上の広島に「中井庄司 20・8・6」とある。原爆で亡くなった中井さんの夫だ。映像集によると、中井さんは戦後、途方に暮れて墓に日参した。道すがら、夫を戦争で失った家が5軒あったという。そこで、幼い子を抱えて十分に働けず苦労する遺族同士で集まった。冬の寒さに耐えて春に白い花が咲く梅にあやかり「白梅会」と名付けた。これが町遺族会の始まりだった。「子どもさえしっかり育てていけば、やがて我が家にも花が咲く」と励まし合ったという。
1946年、占領下の日本で遺族への給付が打ち切られると、中井さんは各地の遺族と声を上げた。証言集で中井さんは語る。「根本はやはり、命をかけて国を守ってくれと召集令状がきたから。国のためだと招集しておいて戦死した後は知りませんよということではいけない」。各地の遺族代表は47年に日本遺族厚生連盟(のちの日本遺族会)を結成し、援護を求めて活動した。中井さんは96~2002年に日本遺族会で女性初の会長を務めた。
遺族の生活は厳しかった。町遺族会役員の安村和郁さん(83)の父は1944年10月に台湾・フィリピン間のバシー海峡で輸送船に乗っていて戦死したという。安村さんは「男手がいないのを知って家に泥棒が来るのが恐ろしかった」と振り返る。塀を泥棒が乗り越えるたびに地面のトタン板が「どしゃん」と鳴るのにおびえたという。映像集には、縁談のたび「父がいない子は根性が曲がっている」と断られ、「国のために父を亡くしたのに」と泣き明かした女性や、夫の戦死連絡を受け「東条英機を殺しに行こうかと思った。(夫が帰ってきた家を見て)みんな死んだらええのにと思いましたよ」と涙する女性の証言も残る。父が戦死した町遺族会役員の木村政則さん(82)は「家族が帰り、笑い声のする明るい家の前は通りたくなかったと母は再三言っていた」と振り返る。
戦没者を直接知る人は少なくなった。町遺族会の会員は約60人となり、遺児はその半数以下という。町遺族会の会計、志野明さん(73)の叔父は旧ソ連のシベリアに抑留されて亡くなった。「遺児も少なくなっている。子や孫の代に引き継ぎたいが、仕事があるなどしてなかなか難しい」。祖父がニューギニアで戦死した梅本会長は町遺族会の青年部で長らく活動していたが、4月から会長となった。「戦争を知らない人が戦争の苦しみを伝えないといけない。僕らもよう説明できんことが多い」と悩む。
8月15日早朝。町遺族会のメンバーら約40人が忠霊塔前に集まり、鐘を鳴らして黙とうをささげた。梅本会長は「多くの方々の犠牲の上に今の繁栄があることを決して忘れてはならない。二度と戦争の悲劇を繰り返さぬよう、平和への誓いを新たにする場としたい」とあいさつ。「若い世代へ思いを引き継ぐことも私たちの責務。それぞれの立場から平和への歩みを共に進めていただければと願う」と訴えた。式典に参加した森田浩司町長(41)は「激戦地や亡くなった場所を可視化する地図によって、過去に思いをはせることができると改めて思った。一人一人の命に思いをはせるためにも、地図を後世に受け継いでいきたい」と語った。【矢追健介】
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