大山古墳の副葬品を初めて発見 唯一の実物資料 7月から一般公開も

2025/06/19 14:00 

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 宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理する日本最大の前方後円墳、大山(だいせん)古墳(堺市)の副葬品とみられる刀子(とうす)(小型ナイフ)と甲冑(かっちゅう)の破片が見つかり、堺市と国学院大などが19日、発表した。同古墳では明治時代に石室(埋葬施設)で甲冑などが見つかった記録があり、その際に一部が持ち出されたと考えられるという。古代の大王墓の副葬品が見つかるのは珍しく、同古墳でも唯一の実物資料。「陵墓」として立ち入りや調査が制限される巨大古墳の実態に迫る発見となる。

 ◇古物収集家が保管

 刀子と甲冑片は、国学院大が2024年に購入した明治時代の古物収集家、柏木貨一郎(1841~98年)の遺品から発見された。いずれも和紙に包まれた状態で、刀子を包んでいた紙には「明治五年九月」「仁徳帝御陵前之石郭」「刀鐺(かたなこじり)」、甲冑片を包んでいた方には「仁徳帝御陵」「甲冑金具」などと墨書されていた。いずれも「栢」の字の印が押してあった。

 柏木は江戸幕府の大工棟梁(とうりょう)を務め、明治維新後には寺社の宝物調査の記録係としても活躍した。1872(明治5)年9月に大山古墳の前方部の斜面で、何らかの理由によって竪穴式石室があらわになったことがあり、この際に現場に立ち会い、内部にあった長持形石棺や、副葬品の甲冑などの絵図を残した。石室は副葬品ごと埋め戻されたとされ、絵図は大王墓の埋葬施設の様子を知る貴重な資料とされてきた。

 刀子は長さ計約7センチと約4センチの2点で、甲冑の破片は数センチのものが2点。科学分析の結果、刀子は刀身が鉄製、ヒノキのさやに金銅板で装飾が施されていた。甲冑片は鉄地に金銅板を貼り合わせたもので、いずれも当初は金色に輝いていたとみられる。

 ◇専門家、「被葬者の力示す品」

 元宮内庁陵墓調査官の徳田誠志・関西大客員教授(考古学)は「絵図に描かれた実物が出てきたことは驚きというしかない。古墳時代中期の金銅装の刀子は類例がなく、細かな装飾には相当高い技術が使われている。被葬者の力の大きさを示す品だ」と語る。

 見つかった新資料は7月19日~9月7日に堺市博物館(同市堺区)で開かれる企画展で初公開される。【花澤茂人、中村宰和】

 ◇大山古墳

 墳丘長486メートルの日本最大の前方後円墳で、三重の濠(ほり)と堤に囲まれる。世界遺産「百舌鳥(もず)・古市古墳群」の主要な構成資産。出土した埴輪(はにわ)などから5世紀中ごろの築造とされ、学術的に被葬者は確定していない。後円部に主な被葬者が埋葬されていると考えられ、今回副葬品が見つかった前方部の被葬者は親族などの関係者とみられる。宮内庁が歴代天皇や皇族などの墓として管理する陵墓は、天皇家の祖先祭祀(さいし)の場であり「静安と尊厳を守る」などの理由から、原則非公開となっている。ただ近年は地元自治体との連携にも力を入れ、大山古墳でも2018、21年度に宮内庁は堺市と共同で第1堤の発掘調査を実施した。

毎日新聞

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