両親が生活保護受給 弁護士が最高裁判決に期待する「運命の日」

2025/06/26 15:00 

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 最高裁は27日、国による生活保護費の基準額引き下げの違法性が問われた訴訟の判決を言い渡す。判決は、全国で1000人超の原告が起こした同種訴訟の統一基準となる。迫る「運命の日」に、特別な思いで臨む人がいる。【塚本紘平】

 名古屋訴訟の原告弁護団長を務める内河恵一さん(86)は、両親が生活保護を受給したからこそ、「今の自分がある」と話す。

 1938年、浜松市で生まれた。父、母と姉弟の5人家族は、戦後の敗戦に伴う食糧不足で貧しい暮らしを強いられた。

 そんな中でも計算が得意だったこともあり、地元の商業高校に進学して、銀行員となる将来を描いた。

 ただ、化粧品の製造などをなりわいとする父の収入だけでは苦しく、内河さんも昼間に働き、夜間の定時制高校に通った。この頃、配達や内職の仕事で一家を下支えしていた母も脳出血で倒れ、寝たきりの状態になった。

 卒業後、高校の用務員の仕事に就いた内河さん。勉強熱は冷めなかったことから、受験勉強をして、中央大法学部の夜間部に合格した。

 入学費用や東京での生活資金の工面に悩んでいたところ、友人やかつての先生ら20人が餞別(せんべつ)として、資金を援助してくれた。その中には、参考書を購入するお金がないため立ち読みをしていた本屋の店長もいた。

 上京後、父は体調を崩してがんと診断された。満足に働けない状態が続いたことから、両親は民生委員の勧めを受けて生活保護を受給した。

 大学卒業から2カ月後、父が亡くなった。

 残されていたノートに「次は弁護士」と書いてあった。父の真意は分からない。でも、内河さんが法律家となることを望んでいたのかもしれないと思った。

 司法試験は合格率が低く、難易度が高い。「20年勉強して、50歳で弁護士」を目標に据えたものの67年、3度目の挑戦で合格できた。

 3年後に開業し、四大公害訴訟の一つで、今年で原告勝訴判決から53年となる四日市公害訴訟に弁護団の一員として参加した。

 ホームレスの就労能力に関する訴訟や、騒音や振動の差し止めを求めた名古屋新幹線訴訟など、数々の裁判に携わった。

 常に「最下層を生きてきた自分は、社会に対して何ができるのか」と、自問自答してきた。

 国は2013~15年、生活保護費のうち、食費や光熱費に充てる「生活扶助」の基準額を平均6・5%減額した。

 愛知県内の受給者は14年、生存権を保障した憲法25条に反するなどとして、減額決定の取り消しなどを求める国家賠償請求訴訟を名古屋地裁に起こした。

 23年11月、名古屋高裁は受給者側の請求を棄却した1審・名古屋地裁判決を取り消し、厚生労働相に「重大な過失がある」と指摘した。

 これまで29都道府県で起こされた同種訴訟の司法判断は割れている。名古屋高裁と、原告側が逆転敗訴となった23年4月の大阪高裁の訴訟2件について最高裁は今月27日、判決を言い渡す。これは、他の訴訟の結論を決める統一判断となる。

 「生活保護がなかったら、働かなければならず、勉強に専念できなかった。この問題に取り組まなければ自分の過去から逃げることになる」とし、名古屋訴訟の弁護団長を「当たり前」に引き受けたという内河さんは言う。

 「両親のように病気で働けなくなる人もいる中で、全てを自己責任とする社会は冷たすぎる。『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』とする憲法25条を、本当の意味で実現できる判決を期待しています」

毎日新聞

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