三笠宮家の新当主に彬子さま 母・信子さまは新宮家創設で分裂

2025/09/30 11:32 

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 三笠宮妃百合子さまの死去(2024年11月)に関連する皇室経済会議(議長・石破茂首相)が30日、宮内庁で開かれ、孫の彬子さまを独立生計を営む皇族と認定した。これにより彬子さまが「三笠宮家」の新たな当主となられた。また、百合子さまの長男寛仁親王の妻で彬子さまの母、信子さまも独立生計を営むと認定された。三笠宮家を離れて新たな宮家「三笠宮寛仁親王妃家」を創設。三笠宮家は事実上、分裂した。

 三笠宮家は昭和天皇の末弟の崇仁親王が1935年、成人を機に創設した。寛仁親王ら3人の息子全員に先立たれ、2016年の死去後は百合子さまが当主だった。今回、一世代飛ばして信子さまの長女彬子さまが継いだ理由や、信子さまが三笠宮家を離れた理由を、宮内庁は「宮家の中で話し合われた結果」「内輪の話」として説明していない。

 明治憲法下の1889年に旧皇室典範が制定されて以降の宮家で夫を亡くした妻以外の女性皇族が当主になった例はなく、彬子さまのように皇室に生まれた女性が当主になったのは初めて。また、信子さまのように民間から結婚で皇室に入った女性が新たな宮家を創設するのも初めて。

 1990年の秋篠宮家以来の新たな宮家誕生で、皇室の宮家は全部で五つになった。宮家や当主は法律に基づく制度ではないが、皇室経済会議で独立生計を営むと認定された皇族が、それぞれの家の当主として、生計や祭祀(さいし)の中心になってきた。

 誰が当主になるかは原則、家族の話し合いで決まり、その結論が皇室経済会議に諮られる。会議で独立生計者と認定されると、国庫から支出される生活費「皇族費」が増額される。独立生計者が増える今回の決着は、三笠宮家だけで存続する場合よりも国民の負担が増える結果になった。

 宮内庁は、信子さまも彬子さまも独立生計者になる家族の結論を受け入れ、「公的活動や生活の状況などを総合的に勘案して皇室経済会議の認定を受け得る」と判断したという。一方、家族の話し合いの内容について五嶋青也・皇室経済主管は「内輪の話。承知していないし、承知したとしても説明を差し控える」と話した。

 皇室経済会議は首相や衆参議長、財務相、会計検査院長、宮内庁長官らで構成される。30日午前11時ごろに始まり、午前中に終了した。信子さまと彬子さまの独立生計を認定したため、皇族費の年額は信子さまが1525万円から3050万円に、彬子さまが640万円から1067万円に増額される。信子さまの次女で彬子さまの妹、瑶子さまは三笠宮家に残る。

 三笠宮家の分裂の背景には、長く続く家族の不和がある。百合子さま死去後の家族の話し合いは難航。宮内庁幹部が水面下で調整に関わっていた。

 信子さまは2009年、ぜんそくの治療、療養を理由に、寛仁親王や彬子さま、瑶子さまと暮らしていた赤坂御用地内の住居を離れた。宮内庁分庁舎や高輪皇族邸で暮らしている。宮内庁によると「今も赤坂御用地に戻ると持病の再発が懸念されるとの医師の見立てがある」という。

 12年の寛仁親王の葬儀も百合子さまの葬儀も、喪主は彬子さまが務めた。百合子さまが亡くなった24年11月15日、赤坂御用地の三笠宮邸を天皇、皇后両陛下や上皇ご夫妻らが弔問。信子さまも続いて御用地に出向いたが、関係者によると弔問を拒まれた。以降、一連の葬儀の儀式に信子さまは参列していない。【山田奈緒】

毎日新聞

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