仲代達矢さん愛した能登に悲しみ 「無名塾」「演劇堂」…交流40年

2025/11/11 22:26 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 俳優の仲代達矢さん(92)の訃報が伝えられた11日、ゆかりの深い石川県内では悲しみが広がった。能登をこよなく愛し、毎年、主宰する無名塾の合宿や公演を行うなど40年にわたって交流を重ねてきた仲代さん。「第二のふるさと」となった能登の関係者からは、これまでの絆や貢献に感謝する声が聞かれた。

 仲代さんと能登との深い交流は、1983年の家族旅行で訪れたのがきっかけだった。素朴な自然があふれる環境にほれ込み、「こんな所で芝居の稽古(けいこ)ができたらいいな」と思い立つと、85年から毎年、旧中島町(現七尾市)で稽古合宿を重ねるようになった。

 合宿では、若い劇団員とともに声の張り方や本読み、所作などを繰り返し、練習後には中島町の商店街を訪れたり、夏祭りにも参加したりした。

 町民劇団が結成され、町が「演劇のまち」づくりを掲げると、現在の「能登演劇堂」の構想段階から監修役を務め、95年の開館時から名誉館長に就任。高校生への演技指導など「能登の若い芽」を育てる活動にも熱心に取り組んだ。

 仲代さんが演劇堂の舞台に立ったのは、今年5~6月の「肝っ玉おっ母と子供たち」が最後。能登半島地震復興公演と銘打ち、パンフレットにも「私たちのような芸ごとが、どれだけその癒やしになるかはわからないが、僅(わず)かでも皆さんの日常を取り戻す一助になればと願うばかり」と記すなど、被災者らをおもんぱかっていた。

 演劇堂はこの日、コメントを発表し、「にわかには信じがたいこと」と驚きを示しながらも、「(仲代さんには)この地に演劇文化を根付かせてもらった。特に震災後は能登を心配し、継続的な支援をいただいた。元気な姿が目に浮かび、寂しいかぎりです」と、突然の訃報を悼んだ。七尾市の茶谷義隆市長も「突然の悲報に、心にぽっかりと穴が開いたような深い悲しみに包まれている」とのコメントを発表した。

 今年、「肝っ玉おっ母」の舞台に市民キャストとして立った同市中島町の山下敏博さん(74)は「舞台の千秋楽で、仲代さんは『また、やりますか』と全員に声をかけていた。そのつもりでいたのに、言葉も出ません」と悲しみに暮れた。

 無名塾の中島合宿が始まった頃からの付き合いで、稽古や舞台には厳しいが、地元の人には優しく、愛されるまさに「師匠」だったという。

 これまで市民キャストなどとして6回舞台に立った山下さんは「仲代さんや無名塾が能登に果たしてくれた地域活性化の効果は計り知れない」と感謝。「これからは地元のお熊甲祭り同様、演劇堂を通じて自分たちが地元を盛り上げていくと、仲代さんに誓いました」と話した。【竹中拓実、中尾卓英】

毎日新聞

社会

社会一覧>