沖縄戦で犠牲「戦没新聞人の碑」で慰霊祭 戦後80年で決意新たに

2025/11/30 18:19 

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 第二次世界大戦末期の沖縄戦で命を落とした新聞関係者14人の名を刻んだ那覇市の「戦没新聞人の碑」の前で30日、戦後80年の節目に合わせた慰霊祭が営まれた。毎日新聞や琉球新報、沖縄タイムス、朝日新聞、共同通信、時事通信から約20人が参列して犠牲者の冥福を祈り、「戦争のために筆を執らない」と決意を新たにした。

 1945年3月末に始まった沖縄戦は日米両軍による激しい地上戦となった。各社の記者は日本軍の司令部壕(ごう)と無線局の壕を行き来し、記事を打電した。戦況が悪化し、沖縄本島南部に撤退した日本軍は5月末、報道関係者に沖縄を脱出して本土に戦況を伝えるよう命令。毎日新聞の下瀬豊記者(当時32歳)は本島南端から海路で本土を目指したが、途中で消息を絶った。戦後、45年6月18日に戦死したと認定された。

 61年に設置された戦没新聞人の碑には、下瀬記者の他、沖縄新報(琉球新報、沖縄タイムスの前身)▽朝日新聞▽同盟通信(共同通信、時事通信の前身)――の犠牲者の名前が刻まれている。設置の経緯を説明した琉球新報の小那覇安剛(おなはやすたけ)論説委員会参与は「碑には『任務を果(はた)して戦死した』と刻まれているが、生き残った元記者の多くは新聞の戦争責任、戦犯意識を深く持っていた」と語った。【比嘉洋】

毎日新聞

社会

社会一覧>